Izakaya in Edo period
生ビールでもちょっと一杯の季節に、昔の飲みを紹介。(再掲)
江戸では居酒屋が大繁盛していたようで、「居酒屋の誕生」(飯野亮一著)という本に、その様子が紹介されている。大阪の「食い倒れ」に対して、江戸の「呑み倒れ」と言われるくらい、江戸っ子は酒が好きで、居酒屋の数も、人口比でいうと現在の東京と同じくらい多かったという。
「酒」という大きな看板があり、左には「大極上中級にごり酒」と、酒の等級を示す看板が立てある。障子に「お吸い物」と書いてあるが、これは今と意味が違って、酒のツマミのことだという。店頭はほとんど魚屋のようで、魚がたくさん並んでいる。中央に見える調理台で店員が魚をさばいていて、左端のかまどで煮物などの調理をしている。奥の小上がりで客が飲んでいる。
酒は夏でも冬でも必ず燗で飲んでいた。中央にいる客が持っている筒形の器は「チロリ」という銅製の徳利のようなもので、これで燗して提供された。奥のかまどで店員が料理をしている。二人の客が入ってこようとしているが、現在定番の「縄のれん」は無い。それが生まれるのは江戸時代末期からだという。なお「お通し」は昭和になってからの新しい慣習で、江戸時代にはなかったそうだ。客席は小さい間仕切りで仕切られている。男の二人づれは、刺身をつまんでいるが、酒の肴には刺身が最もポピュラーだったそうで、特に安い魚だったマグロは人気だったという。また右下の店員が鍋を運んでいるが、鍋物も定番メニューで、いろいろな種類の鍋料理が提供された。また居酒屋の客層はかなり広く、手前では二人の女性が ”女子会” をやっていて、奥では "お一人様" の女性客が手酌で呑んでいる。また 2 4 時間営業の店も多く、みんな普通に朝から呑んでいたという。
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