2018年10月31日水曜日

極端な遠近法

Hendrick van Steenwijk

この間、高齢者の運転免許更新の時、視力検査で視野角を測られた。正面を向いたままで 90°の真横は全く見えないが、 80°位から何かがあるなという程度に見え始める。形や色まではっきり見えるようになるのはやっと 40°位からで、それほど人間の視野角は狭い。


それからすると、このヘンドリック・ファン・ステーンウェイクという人の絵はすごいというか変というか・・・。消失点を極端に画面の左に寄せて、右半分を広く取った構図にしている。正面(消失点の方向)を見ながら、自分よりも右側の光景を(横目で)見ていることになるが、その範囲が広い。平面図を描いてみると分かるが、画面の右端の建物はかなり真横近くにあるはずだ。視力検査だったら、魚眼レンズのような視野角の人でない限りこんなに横まではっきり見えるはずはない。あえてそれを描くことで、すぐ近くの物と遠くの物との遠近感を強く感じさせている。

見た通りに客観的に描く手段として遠近法が発明されたが、それを応用すると逆に見えないものも描けてしまう。そんな遠近法の威力で人を驚かそうとしているかのような絵だ。

2018年10月29日月曜日

冬の富士山遠望、富嶽三十六景

Mt. Fuji in winter

朝夕、我が家からも富士山がはっきり見える季節になった。写真は望遠レンズで撮影したので実際より近くに見える。地図で見たら直線距離で 100 km くらいある。

ちなみに富士山から 100 km の円を描くと、埼玉県の川越、東京都東部、横浜、東京湾中央などを通る。北斎の「富嶽三十六景」が描かれた場所(図の青い点)はこの円の近くに多い。一番有名な「神奈川沖波裏」も横浜市の東神奈川の沖合からの眺めと言われている。



2018年10月27日土曜日

デルヴォーの不思議な絵「階段」

Delvaux's perspective

幻想画家ポール・デルヴォーの絵は、近代的な街並みにローマ時代風の衣装を着た女性が彫像のようにたたずんでいたりして、時空間を超えた夢の世界を描く。

デルヴォーの「階段」は好きな作品で、地元の横浜美術館の常設展示品なのでたまに見る。なぜかマネキンが置いてあったり、壁には T 定規と三角定規が掛けてあったり、遠くにはローマ風神殿とクレーンが並んでいたり、と非現実的な夢の光景だ。そしてこの妙な形の建物の空間全体も何か変に感じる。遠近法のせいではないかと思い調べてみた。

床の消失点は窓の外に見える地平線の上に乗っていて正確だが、天井の消失点は地平線より上の位置に浮いている。そして床の消失点は女性の足元のあたりにあり、天井の消失点は頭のあたりにある。つまり消失点が二つあって、そのズレをつなぐように女性が立っている。

遠近法に反したこのズレの意図をこう解釈してみた。初め正面を向いていた時は主に床が見えていた。次に階段の上に女性が現れたので、顔を上げて視線を上へ向けると今度は天井が視界に入ってくる。この前後2つの瞬間を同じ一つの絵に描いたから二つの消失点がある・・・やはり夢の絵なのだ。

2018年10月25日木曜日

幻想絵画 ゴヤとルドン

Goya & Redon

ルドン展(ポーラ美術館)を見に行ったときミュージアムショップで買った「幻想版画  ゴヤからルドンまでの奇怪コレクション」を眺めている。


絵画には「目に見える世界」を描く絵と、「目に見えない世界」を描く絵の2種類があるが、「幻想絵画」は目に見えない想像上のイメージを描く絵だ。幻想絵画の歴史の中から、ゴヤからルドンまでの版画を収録している。

18 世紀の幻想絵画の傑作がゴヤの「理性の眠りは怪物を生む」で、居眠りしている人間を鳥の怪物たちが襲っている。古い社会制度や悪弊と、それに気がつかない民衆の無知への風刺をしている。ゴヤは、こういった社会批判の作品が多い。

19 世紀のルドンは「夢の中で」などで、近代の合理主義が人間の精神世界を壊していることへの抗議として、不可思議な夢の世界を描いた。これも時代への「挑戦状」だった。


2018年10月23日火曜日

横浜 真葛焼ミュージアム

Makuzu Ware


横浜駅近くにある「真葛ミュージアム」へ初めて行ってみた。真葛焼は現在では途絶えてしまったが、明治初めに宮川香山という人が横浜で窯を作って始めた陶磁器。初めから海外への輸出を目的にしていて、ちょうどジャポニズムの時代でもあったからか、大人気を博した。2次元の絵付けを3Dにしたようなデザインで、精緻な技巧がすごい。

しかし日本の「わびさび」感覚からすると、下品とか悪趣味と感じる。宮川香山自身も国内向けには普通の日本的な作品を作っていたという。

これは「和風バロック」なのかもしれない。バロックの建築や家具は、手のこんだ凝った装飾でびっしりと埋め尽くし、悪趣味すれすれまでになる。「シンプル」とは真逆の美意識で、そういうバロックの伝統がある西洋で真葛焼が受け入れられたのは分る気がする。


2018年10月21日日曜日

「ローマの景観」展

"Views of Rome,   Transition in Image and Media"


国立西洋美術館の「ルーベンス展」と同時開催されていて、そちらの入場券でただで入れる。ピラネージの作品と、それが現在まで与えきた影響の大きさを見れる。ローマ時代の遺跡を調査していたピラネージは、その知識をもとに、空想の古代都市ローマを描いた。古代ローマが今も生きているかのように感じさせる幻想的な絵。今回はアクの強い「牢獄」シリーズなどは出ておらず、綺麗な作品ばかりで、作品数も少ないが、ピラネージ好きな人はどうぞ。


2018年10月19日金曜日

ルーベンス展



ルーベンス展はバロック絵画の巨匠の壮麗で迫力満点な絵を堪能できる。( 国立西洋美術館、~ 2019 / 1 / 20 )

ルーベンスの最大の傑作は、アントワープの聖母大聖堂の祭壇画「キリストの昇架」と「キリストの降架」だが、もちろん今回は来ていない。「フランダースの犬」のネロとパトラッシュが最後にやっとたどり着き、この絵を見ることができて力尽きるラストシーンで有名だ。なおこの壮大なゴシック教会は、二つの塔の片方が 500 年たった今も未完成で、まだ工事をしていると言ってはいたが、足場などなく、そんな様子には見えなかった。

アントワープには「ルーベンスハウス」というルーベンスが住んでいた家が保存されていて、ルーベンス作品の美術館になっている。大邸宅だが中に入ると陰鬱な感じの各部屋に小品が展示してある。うっかり閉館時間に気づかずに閉じ込められてしまったが、誰もいない暗い建物からどうやって脱出できたのか、 40 年前のことで記憶にない。


2018年10月17日水曜日

ピエール・ボナール展

Pierre Bonnard

いろいろな作品のなかで室内画がいちばん魅力的だった。ダイニングルームのありふれた光景を描いているが、人物は背景に溶け込むかのように描かれていて、画面の半分くらいを占めている大きな白いテーブルが主役になっている。それでいてテーブルの上にはなにか特別なものが置いてあるわけでもない。なんともいえない親密感のある「空間」が描かれている。(国立新美術館  ~12 /17 )



2018年10月15日月曜日

フェルメールはいつも椅子に座って  描いていた

Vermeer's perspective

フェルメールが自分の姿を描きこんだ「絵画芸術」という作品でフェルメールは椅子に座って描いている。イーゼルの前で立って描くほうが普通なのに、フェルメールはいつも座って描いていたのか調べてみた。


部屋の窓や床などの幾何的な要素を手掛かりに消失点を求め、そこを通る水平線(Horizontal Line)を引けば、それが描いてる人の目の高さ(Eye Lebel)だから、それが絵の中の人物のどの辺りを通るかを見る。

「稽古の中断」でやってみたら、水平線は椅子に座っているモデルの顔の上を通り、立っているモデルの胸のあたりを通っている。だからフェルメールは椅子に座って描いていることが分かる。

フェルメールの全 37 作品のうち、室内の窓や床がはっきり見えていて、消失点を求めることができる作品は 18 作品あったので、全てに同じことをやってみた。結果は、見事に100%すべてで、水平線が座っているモデルの顔の上を通っている。フェルメールは常に椅子に座って描いていたことになる。フェルメールの絵は、自分もその場に居合わせているような親密感を感じるが、この視点の位置も関係しているのかもしれない。


2018年10月13日土曜日

フェルメール「牛乳を注ぐ女」の遠近法は「おかしい」?

Vermeer's perspective

フェルメールの「牛乳を注ぐ女」の解説で「遠近法がおかしい」という話がよく出てくる。窓の消失点とテーブルの消失点が一致しないというのが理由になっている。「視覚心理学が明かす名画の秘密」(三浦佳世)という本でも「消失点が一つでなく、遠近法に違反した絵で、ありえない空間を描いている。」と言い切っている。(写真は同書より)

たしかに一点透視図では平行なものどうしの消失点は一つだからテーブルが壁と平行に置かれているという前提なら「おかしい」ことになる。しかし、もし斜めに置かれているとしたら消失点は当然別のところへ来る。そして実際このテーブルは斜めに置かれていると思う。理由は、テーブルの手前の縁が壁にかなり近いのに、向こう側の縁はもっと離れていること。もう一つは、女性がテーブルに対して正対しているのに半身(はんみ)に描かれていること。だから平面図を描くと、こんな感じになるはずだ。



これならテーブルの消失点は窓の消失点とは別のところにできるのは当然で、その関係を作図すると右のようになる。この説明ならつじつまが合い、フェルメールの遠近法は「おかしくない」ことになる。フェルメールは「遠近法に違反」していないし、「あり得ない空間」など描いていない。




2018年10月11日木曜日

ルドン展 ポーラ美術館

"Redon and His World Beyond Imagination"

久しぶりに箱根のポーラ美術館へ行ってルドン展を見た。チラシが2種類あり、それぞれ若い頃と熟年の頃の代表作が使われている。「黒の時代」と言われる木炭による幻想的な絵と、後のパステルによる華やかな絵とが対照的。なぜまるで別人のように変わってしまったのか、不思議に思っていたが、今回その謎が解けたような気がした。


怪奇な夢の世界を描いた「黒い絵」は近代的合理主義に対する挑戦状だった。やがてその考えが理解され、絵が売れるようになり、「挑戦状」の意味がなくなっていく。また生活が安定し気持ちが平和になっていく。柔らかいパステル画へ移行していったのはそんな理由だったという。人間は歳をとると丸くなるというが、分かる気がする。

森に溶け込んだガラス張りのポーラ美術館。レストランの「ルドンメニュー」。

2018年10月9日火曜日

映画「チューリップ・フィーバー 肖像画に秘めた愛」とフェルメールの時代

"Tulip Fever"

開催中の「フェルメール展」の公式タイアップ映画として上映されているが、なかなか面白い。歴史上、世界最古のバブル経済は17 世紀オランダの「チューリップ・バブル」と言われているが、題名はそこからきている。

経済的に繁栄し、富裕層が競って絵を買い、肖像画を描かせたオランダ絵画全盛の時代。金持ちの人妻の肖像画を描く若い画家は、青い衣装を着せ、窓際に立たせ、ウルトラマリンの絵の具で描く・・といった具合にフェルメールそっくりに描かれている。映像の雰囲気もフェルメールの絵そのまま。

海外の珍しいチューリップの球根が高値で売買され、株のような投機の対象になる。高騰するチューリップで一攫千金を夢見る人々で狂乱のチューリップ・バブルになる。この画家もチューリップに手を出すが、とたんにバブルがはじけて破滅する。

ストーリーは絵画と経済が絡み合いながら進む。キャッチコピー通り「花に狂い、愛に狂い」となり、最後は登場人物たちすべてが悲劇的な結末を迎える・・・

2018年10月7日日曜日

我々はなぜ生き残れたのか?     「絶滅の人類史」

Neanderthal vs Homo sapiens

ベストセラーになっているようだが、とても面白い。人類の誕生以来、様々な人類種が生まれては絶滅していき、最後に我々のホモ・サピエンスだけが生き残ったわけを知ることができる。

ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスより体が大きく、脳も大きかったそうだ。だが、ネアンデルタール人は石と棒をくっつけて槍を作ったのに対して、ホモ・サピエンスはその上をいく投槍器を発明していたそうだ。だから両者の覇権交代が起きた。

ネアンデルタール人も仲間と協働作業するために言葉を話せたが、「木」「川」「鳥」のように今見えているものしか話せなかった。仮定のことや抽象的なことは話せなかったという。そういう脳の認知機能がなかったからだが、では大きい脳を何に使っていたかは謎だそうだ。

絵も同じで、ネアンデルタール人の野牛の絵は素晴らしいが、あくまで見えたものをそのまま描いている。対して、ホモ・サピエンスは頭に浮かんだ架空のものを描けた。人類最初の芸術作品といわれている「ライオン人間」という彫刻は頭がライオンで体が人間という現実に存在しないものだ。今の我々も、見えているものの写生から始めるが、やがて見えていないもののイメージを描くようになる。人類の発達過程をなぞっているようで面白い。

2018年10月5日金曜日

フェルメールの光


フェルメールの絵はすべて小さい窓からの細い光だけで描いている。だから「色と形」の絵ではなく「光と陰」の絵になる。蛍光灯で部屋中が明るかったらあんな絵は描けなかっただろう。真似をして、薄暗い部屋でカーテンを少しだけ開けると、モチーフの上に光がはっきりと浮かび上がる。もっともそこまでは真似できても・・・

"Chianti"   Soft pastel,   Canson Mi-tant paper,   40cm × 35cm


2018年10月3日水曜日

フェルメールの「足温器」

Vermeer's "The Milkmaid" and Foot-warmer

先日、知人の 伊藤紀之さん(もと共立女子大学教授)から面白い話を聞いた。フェルメールの傑作「牛乳を注ぐ女」の画面右下にある物について。これは「足温器」だそうで、日本の「湯たんぽ」のようなもの。中の陶器に炭火を入れて、箱の上面の穴から出る熱で足を温める。家政学が専門の伊藤さんは、湯たんぽの研究もしていて、絵と同じ足温器の本物を持っているそうだ。ちなみに足温器は北欧やロシアなど寒い国には無いそうで、オランダや日本のようにそこそこ寒い国だけの物だそうだ。そんなものが描かれていたとは気がつきもしなかった。


絵について調べてみると、この部屋は白い漆喰壁や牛乳やバターなどの乳製品などから、冷涼な台所であることが分かり、足温器は実用的な器具として置かれている、という。また、座って使う足温器を使わず、女性が立っていることから、女性の勤勉な性格を象徴している、とも解釈されているそうだ。

2018年10月1日月曜日

「モダンアート再訪」展 横須賀美術館

"Modern Art Revisited"   Yokosuka Museum of Art

20 世紀後半のモダンアートの流れを整理して見せてくれて参考になる。ミロ、シャガール、ダリ、などが夢の世界を描くことから始まるが、やがて絵から「形」が無くなっていく。最後は、絵の具をキャンバスにぶちまけたりして「モノ」と絵画の区別がつかなくなってしまう。その後のウォーホルなどのポップアートでは、絵とは何なんだということになる。そして再び、バスキアのように絵に「形」が戻ってきた。・・・というのがおおまかな流れ。


横須賀美術館は車でしょっちゅう前を通るものの、中へ入るのは初めてだったが、海一望の明るい美術館でとてもいい。鑑賞後にカフェテラスで海を眺めながらゆっくりするのもいい。