2025年10月13日月曜日

「アンパンマン」の やなせたかし氏

 Takashi Yanase

毎回参加しているグループ展(凡展)が今年も始まった。今回は、やなせたかし氏の特別展示がされている。NHK の連続ドラマで「あんぱん」が放映されてきたことから、当グループ展のメンバーだったやなせたかし氏を記念しての展示だ。


やなせたかし氏は学校(戦前の東京高等工芸学校)の大々先輩で、我々同窓生のこのグループ展に 20 数年にわたり出展し続けた。「アンパンマン」などの原画などを出展されていたが、亡くなられてから12 年になる。氏の年譜も展示されていて、素晴らしい業績の数々をあらためて知ることができる。



2025年10月11日土曜日

絵画の起源

Origin of Painting

日経新聞の連載コラム「去り行くものを描く」の第1回目で、デヴィッド・アランという18 世紀の画家の「絵画の起源」という絵が紹介されている。古代ギリシャの神話にもとづく絵で、戦場に出てゆく恋人の面影を残すために、女性がろうそくの光で壁に映った影をなぞっている。「影をなぞる」というのが絵画の始まりだったといわれている。

その後もこれと同じ題材の絵が何度も繰り返し描かれてきた。,左はエデユアルド・デジエという人の「絵画の発明」(1832 年)で、右はアンヌ=ルイ・ジロデという人の「素描の起源」(1829年)。題名もほとんど同じだ。(写真は「影の歴史」より)

これらの絵に共通していることは、顔を「横顔」のシルエットで描いていることだ。シルエットで顔の正面を描いても人による差が出にくい。目鼻立ちの特徴を描くには横顔にせざるを得ない。

だから肖像画は横顔で描くというのが長い間の常識だった。これはルネッサンス期になっても続き、例えば有名なボッティチェリの「若い女性の像」も横顔で描かれている。影のシルエットではなくなったが、表現は平面的だ。

正面から描いて本人らしさを表現できるようになるのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」からだった。それは、遠近法と陰影法の発達によって、顔の立体表現が可能になったからだ。


2025年10月9日木曜日

なぜ人間は物を見て立体感を感じるのか

 Stereoscopic Vision 

ひと昔まえに「立体映画」がはやった。立体感を極端に増強した映像で、手前に物が飛んでくると思わず顔をのけぞらせてしまうほどだったが、見せ物的な面白さだけなので、すぐにすたれてしまった。映画館の入り口で渡される立体メガネを掛けて見る。左目には赤色、右目には青色、のフィルターのメガネだ。メガネをはずして見ると、赤色の映像と青色の映像の2つが少しずれて見えている。メガネをかけると、左右の両眼それぞれがその片方だけが見えるようになる。

人間は「両眼視」による両眼の見え方のズレ(視差)によって立体感を感じている。認知心理学者のギブソンはこの立体視のメカニズムについて「視覚ワールドの知覚」の中で詳しい説明をしている。右図のようにピラミッド型の物体を見ている場合、右目と左目では、少し違う角度から見ている。その二つの映像が脳の中で融合されて一つの立体像として認識している。立体映画はそのしくみを利用している。

ギブソンは、そのほかにも「両眼視」についてたくさんのことを書いている。例えば下図は、右目と左目の視野と、その重さなりを示している。両方が重なっている白い領域が立体視を感じる範囲になる。しかしその範囲はかなり狭い。グレーの部分では単眼視になり、少しぼやけて見えている。


そして、ソファに横たわっている自分の姿を、右目を閉じて、左目だけで見ている状況を描いた絵を紹介している。足のつま先が画面中央まで伸びている。そしてこの絵の右端に白いものが見えているが、これは自分の鼻だ。鼻が左目の視野のはじっこに見えている。自分でも片目で見てみると確かに自分の鼻が見える。そんなことに気が付いていなかったから面白い。この鼻は上図のグレーの範囲内で見えている。普通は両眼で白い範囲を見ているから、そこから外れている鼻は見えていない。


このように人間は、両眼視によって立体感や遠近感を感じているが、ギブソンは、それはたくさんある方法の一つにすぎず、ほかにも人間はたくさんの方法を使って立体感や遠近感を感じとっていることを説いている。だから「遠近法」には一般に知られている以上に、13 種類もあることを主張していることは、先日(9 / 30)書いた。→https://saitotomonaga.blogspot.com/2025/09/blog-post_9.html

ギブソンは、ほかにも面白いことをたくさん書いている。例えば、馬の目は顔の両側面についていているため、両眼視はできない。馬のような草食動物は、肉食動物から身を守るために、全方向を見渡せるように、視野角が全周 360° になるように進化してきた。それに対して人間は、視野角の広さを犠牲にして、前方だけを集中して見る能力を高めるように進化してきた。人間が両眼視によって立体視をできるのはそのおかげだ。


2025年10月8日水曜日

坂倉準三の「神奈川県立近代美術館」

  Junzo Sakakura

日経新聞の連載コラム「共同体の建築 10 選」で「旧神奈川県立近代美術館」(10 / 8)が取り上げられていた。この建築については、当ブログでも書いたが、これを機にもう一度再掲する。


以下は、2024 / 1 / 29 の投稿再掲

坂倉準三は好きな建築家の一人で、地元の神奈川県立近代美術館(今は他の美術館に変わっている)へよく出かける。坂倉準三はコルビュジェの弟子だったので、その影響を受けている。この建物は、建物全体を柱で浮かせるコルビュジェの「ピロティ」の手法を取り入れている。しかし「ピロティ」の軒が、池の上まで張り出していることによって、軒下に、ゆらゆらと動く池の波紋が反射している。この軒下が波紋を映し出す ”映像スクリーン” になっている。写し出される波紋の動きは見ていて見飽きない。


モダニズム建築の巨匠コルビュジェの弟子でありながら、坂倉準三の建築は、桂離宮などの日本建築を思わせる。自然環境との一体感をコンセプトにしていてとても日本的だ。


2025年10月6日月曜日

「重なりの遠近法」と「大小の遠近法」

Perspective in Japan 

日本絵画では「線遠近法」はあまり発達しなかったが、代わりに「重なりの遠近法」と「大小の遠近法」が日本独特の遠近法として発達した。

伊藤若冲の「群鶏図」は「重なりの遠近法」の代表作とされる。たくさんの鶏が手前から向こうへ重なって描かれ、「重なり」によって奥行きを表現している。しかし鶏の大きさに「線遠近法」的な大小変化はない。


広重にも「重なりの遠近法」の絵がある。「名所江戸百景」の中の「日本橋通一丁目略図」という絵が面白い。建物が線遠近法なので、それに合わせて、遠くの人間も小さくなっているのだが、傘をさしている人々が重なっている。重ねることで遠近感を強調している。




その広重の「名所江戸百景」には「大小の遠近法」がたくさん使われている。「水道橋駿河台」で、3匹の鯉のぼりが描かれているが、手前の鯉のぼりは、画面全体を覆うほど大きい。向こうの鯉のぼりは小さい点ほどで、極端な大小の差が遠近感を強く感じさせる。


手前の松が画面全体を占めていて、枝の間から遠景が見えている。枝の形の面白さで画面構成をしている。このように「大小の遠近法」は、絵の大胆な構図を生み、印象派に大きな影響を与えたことはよく知られている。


同じく「江戸百景」の「高輪うしまち」も同様で牛車が極端に大きい。後ろに牛が描かれているが、線遠近法的にいえば、小さくすぎる。風景画というより画面の構成の面白さをねらっている絵だ。なおこれらは「近像型構図」と呼ばれることもある。



2025年10月4日土曜日

屋根付きの橋 「田丸橋」と「マディソン郡の橋」

 Roofed Bridge

日経新聞の連載コラムの「共同体の建築 10 選」で、「田丸橋」という橋が紹介されていた。愛媛県の内子町というという町の農村地帯の田んぼの中にある小さな橋だ。日本にも屋根付きの橋があったのかと驚いた。長さ14m の木造の小さい橋で、戦前からあるのだが、なんのために屋根付きにしたのはよくわかっていないそうだ。臨時の農機具置き場に使われたのではとか、農作業中の休憩場所に使われたのではなどと推測されているという。


屋根付きの橋と聞いてすぐに映画「マジソン郡の橋」を思い出した。クリント・イーストウッドとメリル・ストリープが演じた名画だが、改めて橋の画像を検索してみた。田丸橋と同じ木造だが、構造の違いがとても大きい。マディソン郡の方は、橋が完全に覆われてトンネルのようだ。内部もガッチリとした木組みの構造になっている。あらためてこれと比較すると、「田丸橋」の、まわりの風景が見渡せ、風通しがいい、軽快な造形に、小さい橋ながら日本建築らしさが凝縮されているのを感じる。