2021年4月5日月曜日

映画「パンドラ」に登場するキリコ風の人物画とマン・レイの肖像写真

 Movie「Pandora and the Flying Dutchman」

「パンドラ」( 1 9 5 1 年)は、 7 0 年も前のクラシック映画で、 いかにもその時代らしいハリウッド調メロドラマだが、構成が凝っている。「パンドラの箱を開ける」という言い方は、封じられていたことを表に出すと厄災がもたらされるという意味だが、主人公の女性の名前がその「パンドラ」なのだ。

パンドラをめぐる男たちの一人が画家で、美しい女性の肖像画を描いている。パンドラが画家に会った時、初対面なのに絵が自分にそっくりなのに驚く。しかも「パンドラの箱」を手に持っている。ここからミステリアスなストーリーが進んでいく。


この謎めいた女性が厄災をもたらすパンドラであることに気付いた画家は絵を直してしまうのだが、それがキリコの人物画とそっくりな、のっぺらぼうの顔になる。背景にギリシャ神殿風の建物があるのもキリコの引用であることをあえて強調していることがわかる。


キリコは風景画だけでなく、人物画もたくさん描いているが、すべてが目鼻の無いのっぺらぼうの卵型の顔で、彼の風景画と同じく自身の不安感を表していると言われている。監督のリューインという人は美術通で、特にシュール・リアリズムの愛好者だったことからキリコを引用したという。(下はキリコの「ヘクトルとアンドロマチ」(1 9 1 7 年))


この映画にはもう一つ興味深い美術の引用がある。画家のアトリエにパンドラの肖像写真がさりげなく飾ってある。1 6 世紀に、卓上に飾れる小型の細密画的な肖像画が流行ったが、その様式にならった写真になっている。


この写真はマン・レイの撮影で、監督から映画用に依頼されて、パンドラ役のエヴァ・ガードナーをモデルに撮ったという。マン・レイはソラリゼーションなどの現代的な写真の技法を開発した写真家として有名だが、監督はマン・レイと交流があったという。(横浜美術館のコレクションにマン・レイの作品が多数あり、常設展で見ることができる。)


(参考:岡田温司著「映画は絵画のように」 著者は、西洋美術史・思想史が専門で、映画に出てくる絵画について研究している。)

2021年4月3日土曜日

「ヒコーキと美術」展 横須賀美術館

Arts in the Age of Airplane

飛行機の機能美やスピード感をモチーフにした絵画の展覧会だが、戦中も現在も海軍基地のある横須賀のゆかりで、戦時中の戦争画が中心になっている。


「九州上空での体当たり B29 を撃墜」(1945 年、中村研一)

2021年4月1日木曜日

映画「ノマドランド」

"NOMADLAND" 

コロナ禍で、映画はこの一年間休眠状態だったが、やっと新作が来た。今年のアカデミー賞確実だという。たしかにおすすめの映画だ。

リーマンショックで職も家も夫も失った女性が、キャンピングカーで放浪生活を始める。補助教員だった彼女が教え子と出会うシーンで、「先生はホームレスなの?」と聞かれるが「ハウスレスなだけよ」と答える。家は無くても、心の中に家庭があるから幸せ、という思いが込められている。

中西部の荒涼とした砂漠地帯を撮るカメラがとてもいい。


2021年3月30日火曜日

ボナールの鏡の絵

 Pierre Bonnard

ピエール・ボナールは、「鏡の画家」と呼ばれることもあるくらい鏡の絵が多い。特に有名なのは「逆光の裸婦」で、この絵には4枚の鏡が描かれている。モデルが映っている化粧台の鏡、黄色い壁に掛かっている三面鏡、右端の縦長の姿見(下のほうにうっすらソファが映っている)、そしてタライの水も窓を映していて鏡の役割をしている。鏡が光に満ちたこの空間のきらめきを強調している。


鏡は、手前の空間や、隠された部分を見せる道具として使われるが、絵の空間を広げたり、錯綜させる効果がある。3年前の「ピエール・ボナール展」にあった「化粧台の鏡」では、モデル自体の姿はなく、鏡に映った背中だけが描かれている。


「鏡の効果(入浴)」では、鏡が画面のほとんどを占めている。裸婦が鏡の中に閉じ込められていて、現実から離れた別の空間にいるように感じる。その姿を覗き見しているような感覚にする役割を鏡がしている。


2021年3月28日日曜日

「北斎 vs 廣重」展

「 Hokusai vs Hiroshige」

拡張現実(Augmented reality)技術を使って、浮世絵の世界を拡大する試みで面白い。
NTT インターコミュニケーションセンター(ICC)


2021年3月26日金曜日

モンドリアン展

Mondrian

損保ジャパンビルの最上階にあった「
SOMPO美術館」が新築の建物に移ったが、初入館して「モンドリアン展」を鑑賞。モンドリアンが様々な画風を試みながら、最終的に抽象主義に行き着くまでの過程がはっきりわかって、とても興味深い。(画像は同展図録より)

スタートは昔ながらの自然主義絵画だが、その中でも造形性指向の方向に変わっていく。この農村の納屋の絵では、建物が非遠近法的で、平面的な幾何的構成になり始めている。後の抽象主義へ向かって一歩ふみ出している。


「女性の肖像」では、もっとはっきりと色面による構成になる。

モンドリアンは木をモチーフにした作品が多数あるが、「コンポジション 木々」では、具象性がほぼなくなり、木立を垂直・水平の線だけで構成した純粋造形になっている。

「色面の楕円コンポジション」は、キュビズムの影響を受けているとされるが、パリの街の建物がおり重なっている風景をモチーフにしている。直線・長方形・楕円などの幾何形態で構成している。なお右下の「KUB」の字は、この場所にあった看板の文字だという。


2021年3月24日水曜日

マネとマグリットの「バルコニー」

「Balcony」 Manet and Magritte

マネの名作「バルコニー」は、奥行きのない平面化した絵画として有名だが、それを助長しているのは、室内を塗りつぶしている黒色のせいによる。この黒はただの黒ではなく、マネが得意にしていた「純粋で光に満ちた黒」で「マネの黒」と言われる。


この絵の特徴は、3人の人物(室内にもうっすらと4人目がいる)がそれぞれの視線はバラバラで、お互いの心理や感情の交流が感じられず、よそよそしい空気がある。

この絵のパロディを描いたのがマグリットで、マネの人物を棺桶に変換している。マネの「バルコニー」のバラバラ視線に触発されて、近代人の孤独や孤立性を誇張したものと言われる。(三浦篤『名画に隠された「二重の謎」』より)

2021年3月22日月曜日

静物画でない絵の静物

Still life in figure painting 

人物画や室内画の中に静物が描かれることがあるが、その静物が添え物ではなく、静物画並みに絵の主役になっている例がある。ベラスケスの「セビーリャの水売り」で、手前の水瓶のろくろの筋の入った質感や、ちょっと形が歪んだ部分の描写などに力が入っている。



静物画の名人シャルダンには、庶民の家庭を描いた人物画も多いが、そこに描かれた静物は、完全に静物画になっている。「食器を洗う女」は家事をしている女中を描いているが、樽やバケツの方が絵の主役になっている。


2021年3月20日土曜日

ミレーのパステル画「農場の冬」

 Jean-Francois Millet

「晩鐘」のミレーがパステル画を描いていたとは知らなかった。この「農場の冬」は、ミレーのコレクターだった人がミレーに 9 5 点ものパステル画を注文して描かせたうちの一枚だという。ドガやルドンより早い 1 8 6 8 年の作だそうで、近代的パステル画の先駆け的作品だったという。鶏小屋の前に鶏がたたずんでいる雪景色を詩情たっぷりに描いている。(日本経済新聞  ' 2 1. 3. 1 8.   「鳥のいる情景」より)


2021年3月18日木曜日

モチーフを壁につるした静物画

Trompe-l'oeil

日本初の西洋的な写実的静物画といえば高橋由一の「鮭」だが、由一はヨーロッパ人画家の指導を受けたので、その影響を受けた。このようにモチーフを壁につるすのは、ヨーロッパの伝統的な手法のひとつで、鳥などを壁にぶら下げて本物そっくりに描く絵がたくさんある。


この手法の始まりは 1 7 世紀のオランダの「だまし絵」で、本棚や状差しをモチーフにして、極端に写実的に描くのが流行った。こういう絵を壁に飾ると、本物が壁の上にあるように見える。普通にテーブルの上にモチーフを置いて描くと、遠近法的奥行きが出てしまい、だませないのでこうなるわけだ。



現代の日本でも、伊牟田経正という日展の画家は、その手法を使っている。


2021年3月16日火曜日

”怖い” 食料問題の映画「ソイレント・グリーン」

 「Soylent Green」

環境破壊や気候変動などを題材にした映画は「クライメイト・フィクション」と呼ばれることがある。その中には食料に関する題材もあり、ちょっと古いが「ソイレント・グリーン」(1 9 7 3 年)などは代表例だ。環境問題が大騒ぎになリ始めたきっかけが、有名なレイチェル・カーソンの著書「沈黙の春」(1 9 6 1 年)で、野菜についた農薬の人体への影響を告発してからだった。この映画はそういう食料問題への関心の高まりが背景になっている。

映画はまた、黙示録的破滅の後にくるディストピア社会という S F 映画の定番パターンにのっとっている。映画としては B 級だが、現在実際に起きている食料に関わる出来事を思い浮かべながら見るとけっこう面白い。

舞台は 2 0 2 2 年 (映画では 5 0 年後だが、現実だと来年ということになる)地球温暖化で生物が絶滅して、食料不足が深刻になり、市民は政府から支給される味気のない緑色の合成食品「ソイレント・グリーン」で飢えをしのいでいる。政府は人口を減らすために、希望者に安楽死をさせる政策をとっていて、そのための専門施設がある。そこから出た死体の山は、ゴミ収集車のような車で謎の工場に運ばれる。主人公の刑事が工場に潜入すると、そこはなんと「ソイレント・グリーン」の生産工場だった・・・ エンディングで、かつて地球にあふれていた美しい自然の映像がモーツァルトの音楽に乗って次々と写し出される・・・


最近の「遺伝子組替え食品」や「人工合成肉」や「食品偽装」などの食料問題に通じる話で、まったくの作り話しとは思えない映画だ。また最近実際に映画通りの「ソイレント」というサプリメントが発売されたそうで、健康被害もあったというから、なおさらだ。


2021年3月14日日曜日

Powers of Ten

 Powers of Ten

「Powers of Ten」(1 9 6 8 年)は、家具デザイナーとして有名なチャールズ・イームズの制作による教育フィルムだが、大昔にこの映像を見てびっくり仰天した。1 0 の n 乗の、 n の値を0から限りなく増やしていき、宇宙の果てまで到達する。それから逆に、マイナスへ限りなく減らしていき、人体のミクロの世界へ入っていく。 5 0 年以上も前なので  C G ではなく、実写とアニメーションの映像だが、アイデアの斬新さに改めて驚かされる。 

 youtube 映像→  https://www.youtube.com/watch?v=paCGES4xpro


2021年3月12日金曜日

人物画の「短縮法」

Figure perspective

第一次世界大戦時の、アメリカ陸軍の志願兵募集ポスター「 I WANT YOU 」はとても有名だ。描かれている人物はアンクル・サム(U. S. =United States)と呼ばれ、アメリカの国を擬人化した人間像だった。 

このアンクル・サムの手が、見る人に向かって手前の方にグッと突き出している感じがよくわかり、デッサン力のある人が描いていることがわかる。このように手前に伸びているものを短く描くことで奥行きを表すのは「短縮法」と呼ばれる。遠近法の一種だが、直線要素のない人物画では線遠近法ではないので、そう呼ばれる。

レンブラントの「夜警」で、中央にいる隊長が手前に手を差し出しているのも同じ例だ。素人の人物画だと、「あれ、この人、手が短いの?」となってしまいがち(笑)だが、もちろんレンブラントはそんなことはない。


短縮法を極端に使った例は、1 5 世紀のマンテーニャという人の「死せるキリスト」で、横たわる人体を足元から見ている。遠近法が確立されるルネッサンス期以前の古い絵として、美術史によく出てくる。


2021年3月10日水曜日

ノアの箱船の形

 Moah's Ark

聖書の「創世記」で、大洪水とノアの箱船についての詳しい記述がある。神が愚かな人間どもを滅ぼすために大洪水を起こすのだが、ノア一家と動物たちだけを救うことにして、ノアに箱船を作ることを命じる。それは、「糸杉の木で、長さ 1 3 5 m、幅 2 3 m、高さ1 4 m、上には屋根を横には戸口を設け、内部を3階建の構造にし、中と外からタールを両面に塗る」とあり、ちょっとした大型船並みの大掛かりなものだった。

ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画は「創世記」のストーリーを描いているが、中央の上から2番目がノアの箱船のシーンになっている。この絵で、海上に浮かんでいる箱船は、「創世記」に書かれた船のスペックにかなり忠実に描かれている。「箱船」といっても船の形ではなく、大きな家のような形なのだ。


大洪水と箱船の絵は、ミケランジェロ以後もたくさんあって、様々な形の箱船が描かれてきた。1 9 世紀のギュターブ・ドレの「箱船から遣わされた鳩」(1 8 6 6 年)は、戦艦のような箱船を描いている。なお死骸累々の上を飛んでいる白い鳩は、地上から水が引いたかどうかを確かめるためにノアが鳩を放ったという「創世記」の記述に基ずいている。


映画「ノア  約束の舟」(2 0 1 4 年)の箱船は「創世記」のスペックに忠実で、作る過程や内部構造も C G を駆使して詳しく描かれていて、興味深かった。


このような「創世記」の物語そのものの映画化ではなく、設定を現代に置き換えて、人類の滅亡と再生という黙示録映画がたくさんある。代表例は「2 0 1 2」(2 0 0 9 年)で、地殻変動による大洪水が起きるが、人々が逃げる箱船は、巨大な潜水艦になっている。


「創世記」では、堕落した人類どもは死に、善良なノアだけが箱船に乗るのだが、この映画では、潜水艦に乗れるのは一握りの政治家と、高い「乗船券」を買った大金持ちだけで、一般市民は乗ることができない。本来の「創世記」と逆の設定になっているのが面白く、現代社会への皮肉になっている。

2021年3月8日月曜日

津波の黙示録的イメージと池田学の絵画

 TSUNAMI image and IKEDA Manabu

2 0 1 1 年3月 1 1 日の大震災から1 0 年になる。「津波」は今では「TSUNAMI」となって、外国映画にもこの言葉が普通に出てくる。黙示録の世界観がある西洋では、津波はこの世の終わりのイメージとして描かれてきた。オナルド・ダ・ヴィンチの「大洪水」などたくさんの恐怖の洪水の絵画がある。ジョン・マーチンの「大洪水」(部分)もそうで、巨大な波が、人間の一団をのみ込もうとしている阿鼻叫喚の瞬間を描いている。(画像:「ジョン・マーチン画集」より)


このような津波の怖いイメージは映画にも度々登場する。「2 0 1 2」(2 0 0 9 年)では、大地殻変動が起き、巨大津波が都市をのみ込んでしまい、陸地は陥没して海中に沈んでしまう。黙示録に書かれた人類絶滅のイメージをそのまま視覚化している。


津波大国なのに、日本では不思議と津波が描かれないが、例外は池田学くらいか。イマジネーション豊かなスケールの大きな絵で、津波にのみ込まれる世界の終わりを描いている。しかしジョン・マーチンのように、迫ってくるようなリアルな恐怖感はなく、むしろ美しく繊細な絵画だ。大津波が神の怒りだというような黙示録的な感覚のない日本人の絵画なのだろう。上から、津波と復興を描いた「誕生」、都市が水没していく「箱舟」、原発事故のイメージの「メルトダウン」(いずれも部分) (画像:「池田学  The Pen 展」(2 0 1 7 年)図録より)