2024年7月31日水曜日

うなぎ

 Grilled eel in Ukiyo-e 

うなぎは万葉集にも「夏痩せによし」とあるくらい古くからの夏の食べ物だったが、江戸時代に醤油とみりんを加えたタレをつけて焼く、今と同じ蒲焼の食べ方が確立したという。初めはファストフード的な食べ物で、屋台で一串が 3 2 0 円くらいだったそうだ。歌川国芳の「春の紅蜺」という団扇絵で、女性がうなぎの串を両手で掴み、豪快にガブリといこうとしている。

やがて料理屋で、ご飯の上にうなぎを乗せた「うな丼」スタイルが登場すると、値段は今とほぼ同じ約 4 0 0 0 円くらいになり、次第に贅沢なご馳走になっていったという。国芳の団扇絵「土用午」では、うなぎ屋の店先で、女性が浴衣の袖をたくし上げて、威勢よくさばいている。うなぎの背中側に包丁を入れているから、今の関東式と同じだ。


以上、林綾野「浮世絵に見る江戸の食卓」より


2024年7月29日月曜日

キャロル・キングを聴きながら

 Carole King

1970 年頃(約 50 年前になる)、キャロル・キングを BGM にして仕事をしていた。いま改めて「つづれおり」の CD を買ってみた。大ヒットした「It's Too Late」が懐かしい。

1960 年代は、「カウンター・カルチャー」の時代で、音楽もロックを拠り所に、社会に革命を起こさんとするばかりに熱かった。反戦コンサートの「ウッドストック」がその頂点だった。しかし1970 年代になると、若者たちはさめた気分に変わり、目は、社会よりも個としての人間に向けられていった。自身を内省的に唄うシンガーソングライターの時代に変わっていく。その”はしり” がキャロル・キングだった。


ジャケットの写真は当時の LP の時のままで、カーリーヘアーとジーンズ(当時はジェンダー差別の時代で、女性のジーンズは、はしたないといわれた)だ。しかし新しい CD のジャケットには、別の写真がプラスされている。こちらのほうが、素直なかわいい女性 で、音楽のイメージに合っている。なお彼女は自分と同じ歳で、まだ存命だ。



2024年7月27日土曜日

台北旅行

 Taiwan

台湾の台北へ行った時、市内観光バスに乗ったが、とうりいっぺんにぐるっと回るだけで、止まるのは土産物屋だけ。日本の旅行会社が運営しているから日本式ツアーだ。せっかく来たのだから台湾のことをもっと知りたいと思ったが、持ってきた「るるぶ」を見ても飲食店の情報ばかりで役に立たない。だから自分の足でひたすら歩くことにした。

”犬も歩けば” 式に歩いていると、こんな建物に出会った。日本統治時代に建てられた公共建築が台湾にはたくさんあるが、これもそのひとつで公会堂のようだ。アールデコ様式で、東京の日比谷公会堂などと雰囲気が似ている。(後で調べたら、終戦時に日本が降伏して、台湾からの撤退をする調印をした重要な建物だった。)


この建物の前の広場の反対側に、建物と向かい合うように立っている、こんな石碑を見つけた。「抗日戦争勝利台湾光復記念碑」とある。日本統治が台湾の近代化をもたらしたとよくいわれる。その象徴が上の公会堂だとすれば、この石碑はその反対の負の歴史の象徴かもしれない。



2024年7月25日木曜日

「ラストベルト」のデトロイト

 Detroit

数日前のニュースでトランプが、ミシガン州のデトロイトで選挙演説し、EV化 促進政策をやめ、ガソリンエンジン車で、もう一度デトロイトを復活させると言っていた。自動車産業の労働者票を集めるためだ。

デトロイトを中心とする「ラストベルト」(錆びついた工業地帯)は、失業率、貧困率、犯罪率、などすべてで全米最悪だ。その実情をリアルに描いていた映画があった。

映画「デトロイト」は、不満を持つ労働者たちが暴動を起こし、鎮圧するために軍隊が出動し、1000 人以上の死者が出た史実に基づいている。いまトランプ演説がデトロイトの労働者に熱狂的な支持を受ける理由がよくわかる。

もう一つは「グラン・トリノ」だった。デトロイトの自動車産業が栄えていた頃には高級住宅街だった地域で、白人が去り、外国人移民たちが住むようになり、犯罪が多発している。かつて自動車工場で働いていた誇り高い老人(クリント・イーストウッド)がそれを苦々しく思っている。ラストベルトの現実を象徴する映画だった。

このようなアメリカの自動車産業の衰退は、1970 年頃から始まった。その頃、自動車の排気ガスによる「光化学スモッグ」が大問題になり、排気ガス規制の法律が決まった。しかし自動車のビッグ3(GM・フォード・クライスラー)は、コストがかかる排気ガス対策を嫌って、法律を無視し続けた。するとすぐに日本車は低公害エンジンの開発に成功し、アメリカ市場を席巻していく。

デトロイトは、工場の閉鎖や縮小で失業者が増大し、労働者が日本車を叩き潰す反日デモが頻発した。政府も輸出規制を要求し「日米貿易摩擦」になった。

EV の時代になり、今度もトランプは、自分たちは変革を怠り、外国車への高関税で自国を守る、という後ろ向きの政策を繰り返そうとしている。

2024年7月23日火曜日

映画「メイ・ディセンバー ゆれる真実」

「May - December」 

公開中の「メイ・ディセンバー ゆれる真実」は、なかなかの秀作だった。「メイ・ディセンバー」(May - December)とは「歳の離れた夫婦」という意味の慣用句だそうだ。

全米に衝撃を与えた、実際にあった「メイ・ディセンバー事件」に基づいている。当時 36 歳だった女性グレイシーは、アルバイト先で知り合った 13 歳の少年と関係を持ち、逮捕され、実刑となった。少年との子供を獄中出産し、刑期を終えて二人は結婚。今は平穏な日々を送っている。

この事件の映画化が決定し、グレイシー役に決まった女優のエリザベス(ナタリー・ポートマン)が、役作りのために本人のことをもっと知りたいと思い、グレイシー(ジュリアン・ムーア)を訪れる。

何日にも渡り、生活のすみずみまで一緒にいて密着取材を続ける。すると取材を「する人」と「される人」だった二人の関に微妙な感情の変化が生まれてくる。ある日ふとしたことから、グレイシーはエリザベスの化粧をしてあげる。このシーンは長回しで 2 ~ 3 分間も続く。見ている観客は何かゾクっとするものを感じる。


さらに二人は、お互いを知るほどに、その優しい言葉や表情の奥深くにある、何か異質のものを感じていく。表にまったく出さないで、そのことを観客に感じさせる二人の演技力がすごい。

そして、エリザベスが当時の関係者から聞き取りをしていくうちに、事件の真実について疑念が湧いてくる。現在のグレイシー夫妻の裏に隠された本当の姿についての疑念だが、それを暗示するシーンがいろいろと挿入される。しかしそれらは断片的で、映画は具体的に説明しない。すべてを観る人の想像力にまかせている。


2024年7月21日日曜日

アポロ 11 号の月面着陸はウソ?

 Apollo 11

昨日(7 / 20)は「月面着陸の日」だったそうだ。あの頃、TV の衛星中継が始まったばかりで、ケネディ暗殺の映像をリアルタイムで見た。アポロ 11 号の月面着陸も生中継で見ていた。しかしあの映像は、あらかじめ映画スタジオで撮影しておいたものを、ニュースとして世界中に配信したものだという説が現在でも根強く残っている。


アポロ 11 号の月面着陸はウソだったという説を信じる人は現在でも多いという。当時は東西冷戦時代で、月面探査競争でソ連に負けてばかりいたアメリカが焦って、国家威信のためにウソをついた、という陰謀論はなかなか説得力がある。

陰謀論者は、宇宙飛行士が月面を歩く映像は、ハリウッドのスタジオで撮影したフェイク映像だとして ”科学的な証拠” をあげている。例えば、月面には空気がないから風もないが、それなのに星条旗がはためいているのはおかしい、などだ。それに対して科学者が反論する。風がないからこそ、旗を立てた時の振動がいつまでも続いて、はためいて見えるのだという。このような真剣な議論が本になって出版までされているほどだ。

「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」(2004 年)という映画は、この陰謀論をそのままネタにしたラブ・コメディだった。NASA の広報担当の女性が、国民の月への関心を高めようとたくらむ。そして月面着陸のフェイク映像をNASA の発射センター内に作った偽月面のセットで撮影する。・・といったおもしろい話だった。


2024年7月19日金曜日

岡上淑子のフォト・コラージュ

The Works of Toshiko Okanoue

「岡上淑子」(おかのうえとしこ)が日経新聞の美術欄(7 / 14)に紹介されていた。日本にこんなすごいシュール・リアリズム作家がいるとは知らなかった。さっそく作品集「はるかな旅」を手に入れた。  

1950 年代のわずか7年間だけ「フォト・コラージュ」を制作して一瞬だけ注目を浴びたが、その後制作をやめたため忘れ去られていた。しかし近年になって、ある人が現住所を突きとめて、訪れてみるとびっくり、木箱の中に封印されていた未発表の作品 100 点以上を発見したという。「再発見」された岡本は、それ以降一躍脚光をあび、日本や欧米の美術館で回顧展が開かれる。そして現在も96 歳で存命だという。

岡上は終戦直後、洋裁学校に通っていた。進駐軍の時代だから、アメリカの写真雑誌「LIFE」などを普通に目にしていた。そこに載っている夢のように華やかな女性ファッションの写真に、洋裁をやっていた岡上は目を奪われる。そしてその写真を切り抜き、貼り付ける「フォト・コラージュ」の道へ入っていく。

フォト・コラージュは、シュール・リアリズムの「マックス・エルンスト」が有名だが、岡上はその影響を受けたという。この「沈黙の奇蹟」は、何頭もの犬を連れた顔のない女性がいて、後ろには箒のようなようなものを持ったやはり顔のない女性たちがいる。そこに上からパラシュートに吊り下げられた女性の顔が降りてくる。これから顔と体は合体するのだろう。


 岡上の作品はすべて女性が主体になっているが、ほとんどで顔がなかったり、あるいは他の物に置き換わっている。そして多くの作品で、戦争や死に関係する何らかの物と組み合わせている。顔を吊り下げているこのパラシュートもそうだ。戦時中の女子高生の時に徴用で工場で働かされていた岡上は、戦争が終わって、何も無くなった焼け野原を見た時、これから女性は解放されるのだという夢と希望に満ちてきたと語っている。

2024年7月17日水曜日

「大統領とハリウッド」

「White House & Hollywood」

「大統領とハリウッド」(村田晃嗣)という本は、アメリカの政治と映画の関係を説いていて興味深い。アメリカのエンターテインメントの2大中心地として「西のハリウッド、東のホワイトハウス」という言葉があるそうで、今のバイデン対トランプの大統領選挙戦でも、ショウビジネス化した政治が、見ていて楽しめる。今度のトランプ銃撃事件で、さらにドラマが盛り上がることだろう。

同書によれば、「映画と民主主義は共通点が多い。いずれも多数の支持を必要とし、イメージを操作し、そして「物語」を必要としている。だから映画大国アメリカでは、大統領が映画に格好のテーマを提供してきた。」そして政治とエンターティンメントの融合が永く続いてきた。

トランプはもともと、テレビ番組の司会などしていて、メディアで名を挙げた人だ。映画にも20 本以上カメオ出演していたという。だからトランプはメディアとの親和性が強い。(本の表紙の帯の写真は司会者時代に、マリリン・モンローの”そっくりさん” との2ショット写真)

大統領になっても政治手腕を疑問視され、強い批判にさらされながら、メディアを巧みに活用してきた。特にツィッターの利用が巧みで、敵を定めて個人を口汚く攻撃する。 同書は、それをプロレスの「ヒール」(悪役)に近い、と言っている。今度の銃撃事件でも、流血しながらも拳を振り上げて「Fight !」と叫んでいるのもプロレス的だ。あの場面でカメラを意識して、瞬間的にこういうポーズを取れるのは天才だ。


2024年7月15日月曜日

映画「ローマの休日」の裏側

「Roman Holiday」 

「ローマの休日」の脚本家は、ダルトン・トランボという人だが、この映画では別人の偽名を使っていた。またそれまで例のない全編を海外ロケで撮った。その理由は・・・

1950年代の東西冷戦時代、アメリカはソ連の脅威を煽り立てた。そしてマッカーシー議員の非米活動委員会による「赤狩り」の嵐が吹き荒れた。有る事無い事の言いがかりをつけて「共産主義者」と決めつけて摘発した。国民同士の「密告」をさせ、アメリカは恐怖政治国家になってしまう。

影響力の大きいハリウッドは特にターゲットになる。西部劇のジョン・ウェインや、ゲイリー・クーパーや、ロナルド・レーガンは協力的で、映画業界の仲間たちを裏切って密告した。その被害者の一人がダルトン・トランボで、映画界から追放される。そのため偽名で「ローマの休日」の脚本を書いた。また目立たないように、全編を海外のローマで撮影した。

もともと西部劇は冷戦時代に、「強い国アメリカ」「正義の国アメリカ」を宣伝する反共プロパガンダ映画だったから、西部劇スターたちはマッカーシーに協力的だった。特にロナルド・レーガンは、”強いアメリカ” のシンボル的イメージ作り上げ、後にアメリカ大統領にまでなる。その時のレーガンのキャッチ・フレーズが「Make America Greate Again」だった。・・・そして最近またこの同じ言葉を別の政治家が使っている・・・


2024年7月13日土曜日

「サイズ」が面白い

 「SIZE」

最近出たばかりの本「SIZE」がなかなか面白い。普段あまり意識していない「大きい・小さい」「長い・短い」「広い・狭い」などの「サイズ」について縦横無尽に語っている。読んでいると、サイズにまつわるたくさんの「思い込み」がくつがえされる。

例えば、「黄金比」について。「黄金比」は最も美しい比率で、多くの絵画や建築に使われいると教えられているが、それはほとんど都市伝説のようなものだという。

美しい人間の顔の縦横比は黄金比で「モナリザ」がその典型だとする俗説がまかり通っている。しかし著者によれば、ミス・コンテストで優勝した各国の女性の顔の縦横比を計測した結果、黄金比の人はほとんどいなかったという。

工業製品でも美しいデザインは黄金比が多いと言われる。そこで著者はいろいろなものの縦横比を測って、黄金比 1.618 と比べている。その結果、黄金比の±2%の許容範囲に入ったのはクレジットカードだけだった。

アイパッド  1.305
A4のプリンター用紙  1.414
ノートパソコンの画面 1.778
クレジットカード 1.592

長方形の黄金分割を繰り返していくと、「黄金螺旋」ができるが、自然界ではオウム貝が有名だ。そしてそれが名画の構図でもよく使われていると言われる。しかしそんな根拠は全くないと言っている。

そこで、ネットで検索してみたら、こんなとんでもない図が出てきた。「モナリザ」で、絵と何の関係もないところに、適当に黄金螺旋を重ねて、だから黄金比ですと、まことしやかに解説している。



「ドバイ・フレーム」は縦横比が黄金比の巨大建造物で、観光客向けの展望台として作られた。ドバイ政府の公式サイトは「多くの建築家や芸術家が理想的なバランスとしてきた黄金比にインスパイアされた。」としている。しかし著者は「寸法がどうであれ、この建造物が、浪費できるだけの金があることを見せつける醜悪な象徴であることには間違いない。とバッサリ切り捨てている。見事な見識だ。



2024年7月11日木曜日

映画「タッカー」

 「TUCKER」

戦後まもなくの頃、野心家のタッカーが画期的な車を作ろうと試みたが、50 台作っただけで失敗に終わった史実に基づく映画だ。

タッカーは「タッカー」という名の夢の新車を発表する。空冷のリアエンジンという低コストで出来る画期的な車で、しかも安全ガラスやシートベルトなど今日では普通になっている安全装備をうたい文句にしていた。そして当時はなかった流線型の流麗なスタイルだ。そのスケッチだけしかなく、影も形もない段階で巨額の出資を集め、生産工場を買収し、車の販売宣伝まで始めてしまう。

ビッグスリー(GM、フォード、クライスラー)は脅威を感じて「タッカー」を潰しにかかる。出来もしない車で金を集めた投資詐欺だとして裁判に訴える。その結果、工場は没収され、資金も引きあげられ、会社は潰れてしまう。


これは、コッポラとルーカスが組んだ、1988 年の映画だが、その当時は、安くて性能のいい日本車がアメリカ市場を席巻し、そのあおりで、アメリカの自動車産業が衰退の一途をたどっていた時代だ。工場の閉鎖や縮小が相次ぎ、労働者が日本車を叩き壊すデモが頻発した。日本への憎しみは激しさを増し、日米貿易摩擦に発展した。

しかしこの映画は、それを日本のせいにするのではなく、アメリカ自身が車の革新をする意欲を失った怠慢のせいだと、言っている。もし「タッカー」のような野心的な車を受け入れていれば、アメリカの自動車産業は日本車に負けることなどなかったろうにというのだ。

そのことをラストの裁判の場面で、タッカーに言わせている。「アメリカは、エジソンやライト兄弟などのように個人の発想を大事にすることで偉大な国になってきた。そして今度の戦争で、画期的な爆弾で日本を打ち負かした。それなのに今、大企業が個人の自由な発想を押さえつけようとしている。これではアメリカは将来、敗戦国の日本から車を買うようになる。それでいいのか!」 


2024年7月9日火曜日

ヒトラーの選挙

 

今度の東京都知事選挙はずいぶんひどいものだったようだ。いろいろな点で、ヒトラーの選挙と比べたくなる。以下は、「ヒトラーの時代」(池内 紀)と、「ヒトラーの演説」(高田博行)による。

最初は泡沫政党だったナチス党が、選挙のたびごとに議席を増やしていき、最後に政権を奪うまでに至る。ヒトラーは暴力やテロで政権を奪取したわけではなく、選挙での巧みな演説で国民の支持を得ていった。演説は、与野党が対立ばかりしていて、何も決められない議会政治への批判で、それは強いリーダーを求める国民の心にささった。

政権をとってからのヒトラーは選挙公約を一つ一つ実行していく。敗戦と恐慌とインフレで壊滅状態だったドイツを建て直す。工業生産力を高め、国民の所得を1.5倍に増やし、失業者を激減させる。社会福祉を拡充し、豊かになった国民に週末に旅行に行くことを推奨し、安いリゾート施設を各地に作る。そして一般の労働者にも買える国民車「フォルクスワーゲン」を作り、全国に高速道路網「アウトバーン」を作る。(写真は、うれしそうな表情で「フォルクスワーゲン」の模型を見ているヒトラー。なお、説明しているのは設計者のポルシェ博士。)

こうしてヒトラーは、ドイツ国民の圧倒的な人気を獲得していった。独裁者ヒトラーを支えたのは、国民の「熱狂」だった。

ヒトラーは国民にメッセージを伝えるメディアとして「ラジオ」を重視した。富裕層しか持てなかったラジオを8分の1の値段にした「国民受信機」を作って普及させる。音楽やスポーツやドラマだけでなく、政局のおりおりにヒトラーの「ドイツ国民に告ぐ」が流れる。どの家庭でもこの瞬間、いっせいに静かになって聞き入ったという。そしてヒトラーは重要な政策の決定には必ず「国民投票」を行ったが、その時ラジオは国民に支持を訴えるための手段だった。現在の選挙での「ネットメディア」に当たり、その効果をヒトラーはすでに十分に認識していた。(写真は「国民受信機」の広告で、巨大なラジオの周りに群衆が群がって、ヒトラーの声を聴いている。キャッチコピーは「ドイツ中が国民受信機で総統を聴く」とある)

2024年7月7日日曜日

円安で何が悪い?

 

今世の中は、「円安」だと大騒ぎしている。しかしなぜそれが悪いのか誰も教えてくれない。ぜひ知りたいものだ。最近の物価高は円安のせいだが、ラーメン一杯が 2000 円のアメリカに比べれば、たかが知れている。

1990 年代に1ドルが 70 円台にまでなった時の「円高」の恐怖は忘れない。会社が倒産し、リストラで失業者があふれた。もともと日本は輸出で成り立っている国で、自動車や電機などの輸出産業で GDP が世界第2位にまでなった。しかし円高の直撃は日本経済を壊滅状態にした。

それから 30 年の今、「円安」のおかげで企業は過去最高益をあげている。だから物価上昇率にやや追いつかないものの、給料はそれなりに上がっているし、失業率も低い。


2024年7月3日水曜日

監督 レニ・リーフェンシュタール の功罪

 Reni Riefenstahl

一昨日(7 / 1 )、NHK の「映像の世紀」で、「ワイマール   ヒトラーを生んだ自由の国」をやっていた。第一次世界大戦後、ドイツに世界一先進的な民主主義憲法「ワイマール憲法」ができ、国民は自由を謳歌していた。しかしそれはたった14 年でヒトラーによって覆されてしまう。なぜそうなってしまったかを当時の映像で解き明かしていている。


ワイマールの自由な時代に、ドイツは文化的な大躍進をする。物理学のアインシュタイン、精神医学のフロイト、文学のトーマス・マン、建築のグロピウス、などが歴史的功績を残した。しかしヒトラーの時代になると、彼らは弾圧を受けてアメリカへ亡命した。

映画も同じで、ドイツは先進的な映画で革命を起こす。しかし当時の映画人はほとんどがユダ人だったために、ヒトラーの弾圧で、アメリカへ亡命した。そして番組は、レニ・リーフェンシュタールをおおきく取り上げていた。彼女はユダヤ人ではなく、しかも熱烈なナチス礼賛者だったので、ヒトラーに寵愛された。もともとダンサーだったリーフェンシュタールは映画監督として、ナチス党大会の記録映画「意思の勝利」で大成功を収める。

そしてベルリンオリンピックの記録映画「オリンピア」を任される。今ではヒトラーのプロパガンダ映画として悪名高いが、その映像美は画期的で、映画技術的には今でも評価が高い。

移動カメラによる撮影や、競技場に穴を掘って極端なローアングルで撮ったりしたのは有名だ。さらに、いい映像が撮れなかったときに、選手にもう一度やらせることまでしたという。そして開会式で、大観衆全員が手をあげて「ハイル・ヒトラー!」と叫ぶ壮大なシーンを ”やらせ” で撮った。またヒトラーの人種差別主義が反映されていて、例えば黒人選手が優勝した場面を撮らなかったりしている。


戦後、リーフェンシュタールは世界中から非難を浴びるが、戦犯として逮捕されることもなく、101 歳まで長生きした。番組で、その当時のインタビュー映像が出てきた。彼女は自分の罪を認めていない。「私は何も悪いことはしていない。ユダヤ人を殺したわけでもないし、原爆を落としたわけではい。」と言っている。

2024年7月1日月曜日

映画「ロンドンから来た男」の光と影

 「The Man from London」

カラー時代にあえて白黒で撮っている監督は何人かいるが、ハンガリーのタル・ベーラ監督はその一人。前々回に「ニーチェの馬」について書いたが、続いて「倫敦から来た男」について。これはサスペンス映画で、謎めいた夜のシーンが続く。白黒映画の「光と影」の効果を最大限に活かして、ミステリアスな雰囲気を全編に醸し出している。


船着場で、船から降りた客が列車に乗り換えているシーン。カメラがゆっくりと上にあがりながら 10 分くらいの長回しで撮っている。これから何が始まるのかという観客の期待感をあおっている。最後に上まで登り切ったとき、これを見ているのは、監視塔の上で線路の切り替えをしている転轍手の主人公であることがわかる。

主人公は、一人の船客が反対側の岸に何かを投げて、それを何者かが持ち去ったのを目撃し、不審に思いその場所へ行ってみる。ここで事件が起きているようなのだが、白黒でしかもロングショットなので、詳しいことはわからない。豊富な情報を伝えるカラーを白黒映画はカットしているので、謎めいた雰囲気を出すのに効果的だ。


主人公は、自分が尾行されていると気づき、塔の上から男を見ている。光と影の強烈なコントラストが主人公の不安感を表現している。こういう光と影による造形は、昔の表現主義映画の時代から使われていた手法で、映画という芸術メディアの根本にかかわる要素だ。