2020年4月30日木曜日

フェルメールの本物とニセ物

Vermeer & Meegeren

二つの絵を比べてみる ④ 本物のフェルメールとメーヘレンのニセ物

フェルメールのニセ物を作ったメーヘレンは、2 0 世紀最大の贋作画家といわれる。新発見のフェルメールと偽って高額で売った。その1枚がナチスのゲーリングに渡って、「ナチスを騙した男」として有名になった。

右はメーヘレンの「ヴァージナルの前の女と紳士」で、下はフェルメールの「合奏」。テーマやモチーフをそっくり真似ていて贋作とはなかなか見抜けない。しかし、ある研究者によると、メーヘレンにはフェルメールとの大きな違いが一つあるという。それは暖色系の色がほとんど無い点で、だから寒々とした印象を受ける。比べると確かにフェルメールの方が活気がある。


「ナチスの愛したフェルメール」は、メーヘレンの伝記ドラマで、なかなか面白い映画だ。

メーヘレンが贋作を始めたのは、高名な批評家が自分の絵を酷評したことへの復讐だった。この批評家がメーヘレンの贋作をフェルメールと信じてしまい絶賛するが、やがてメーヘレンの作と証明される。同じ人間が描いても、「メーヘレン」だと酷評し、「フェルメール」だと賞賛することを暴露したのだ。映画は、絵の価値とは何かを問いかけている。「巨匠」だからとか「名画」だからなどで人は絵を評価して、自分の目で絵の価値を判断していないということを。

ちなみにメーヘレンの最高傑作とされる「エマオの食事」は、現在でもオランダの美術館に「メーヘレン作」として展示されている。つまり、フェルメールでないことが分かっても、絵そのものの価値を認めている。

2020年4月28日火曜日

マネとモンドリアン

Manet & Mondrian

2つの絵を比べてみる     マネとモンドリアンの平面構成絵画

マネの「バルコニー」は、まるで人物の形に切り抜いた紙を窓ガラスに貼り付けたように平面的に見える。空間の奥行きや立体感を重視する伝統的絵画に逆らって、絵を平面化している。だから当時この絵は、非難ごうごうだったという。

マネの伝記映画に、この絵の制作過程が出てきた。まず窓とバルコニーを描いておき、その後でモデルを一人ずつ、すき間を埋めるように描いていった。この描き方からマネのねらいがよく分かる。対象を平面的に並べる「平面構成」をしている。だから人物も陰影をつけずに、立体感を無くしている。平面構成は、面を分割する線が大事だが、この絵では窓とバルコニーの直線がその役割をしている。

究極の平面構成がモンドリアンで、垂直水平の直線で平面を分割している。マネの絵から人物を消して、窓とバルコニーの直線だけを残すとモンドリアンになる。


2020年4月26日日曜日

洞窟壁画とマルセル・デュシャン

Chauvet cave paintings & Marcel Duchamp

2つの絵を比べてみる   旧石器時代の洞窟壁画とマルセル・デュシャンの「動く絵」


旧石器時代のショーべの洞窟壁画に、有名な馬の絵がある。4つを少しずつずらしながら重ねて描いている。いななきながら駆け抜けていく馬が生き生きと表現されている。静止した画像に、「動き」の要素を加えたことから、人類最古のアニメーションといわれている。

記録映画「世界最古の洞窟壁画  忘れられた夢の記憶」に、松明の揺らめく光で見ると実際に動いて見えることが説明されている。

マルセル・デュシャンの「階段を降りる裸体」は、人間を少しずつずらしながら重ねていて、洞窟の馬の絵と全く同じ。2 0 1 3 年の作品だから、ちょうど映画が新しい芸術ジャンルになり始めた時代で、映画のような「動き」を、動かない絵画で表現しようと試みた。3万年たって、やっと旧石器時代の芸術家に追いついた。

2020年4月24日金曜日

カラヴァッジョの「ナルキッソス」と 宮本三郎

Caravaggio & Saburo Miyamoto

2つの絵を比べてみる ①    カラヴァッジョの「ナルキッソス」と宮本三郎の「饉渇」


宮本三郎の「饉渇」は、世田谷の宮本三郎記念美術館で見ることができるが、印象の強い絵で、負傷した兵士が水たまりの水を飲もうとしている。水に映った像で、目をぎょろつかせた苦痛の表情がわかる。戦争中に軍部に協力して描いた戦争画だが、そのことを別にすれば、絵はデッサン力随一の宮本三郎らしい。
カラヴァッジョに「ナルキッソス」という絵がある。題材のナルキッソスは、ギリシャ神話に出てくる美少年で、泉の水に映った自分の姿に恋してしまう。これが自己愛や自己陶酔を意味する「ナルシシズム」の語源になった。

宮本三郎は、この絵からヒントを得ているはずだ。手をついたポーズや、地面と水の境目が画面中央を横切っている構図もカラヴァッジョと共通している。

2020年4月22日水曜日

ウィルスの生き残り戦略

Virus's survival strategy

「銃・病原菌・鉄」は、生存のために闘ってきた人類の歴史だが、感染症をウィルス側からみた生存戦略として書いていて面白い。

ウィルスは、より多くの子孫を残して生き残るために、できるだけたくさんの人に効率よく感染させるような様々な戦略をとる。今度の新型コロナの場合は、感染してもすぐに発症させないことで、気づかないまま動き回ってもらうという、うまい戦略を取っている。いまだ自粛することなく、出歩く人が絶えないから戦略は大成功だ。

ウィルスにとっては、自分の住む場所である人間を簡単に死なせるのは自滅行為になる。生き永らえてもらって、たくさんの人に感染してもらうため、致死率はほどほどにする。その例がエイズで、初めは毒性が強く、たくさんの人を殺してしまったのを反省して、現在では毒性の弱いものに進化した。おかげで人間の死者は減ったが、ウィルスもしっかり生き延びている。

ウィルスは進化しながら、人間に適応して生き続ける。そして時々「新型」にバージョンアップすることで、できている免疫を無効にしてしまう。またワクチンや治療薬で絶滅できたウィルスは一つもない(天然痘だけが例外)から、インフルエンザなどは、毎年のように流行する。ウィルスほど賢くない人間としては、感染拡大をできるだけコントロールできる範囲に抑えて「感染症との共生」(感染症の専門家による)をするしかない。

2020年4月20日月曜日

人物画での、画家とモデルの距離。

Painting Distance

「かくれた次元」は、様々な観点から「ソーシャル・ディスタンス」について研究しているが、絵画についての考察もしている。人物画で、画家とモデルの距離によって、人間の見え方がどう変わるかについて書いている。

4m 位
モデルの全身が一つのまとまった姿として見える。しかし、注意が主として、輪郭やプロポーションに向かうので、人間の形に切り抜いたボール紙のような平板なものに見えてしまう。この距離は適していない。

1, 5 m 〜 2. 5 m 
モデルの姿を理解するのに遠すぎないし、全体を遠近法的に捉えるのが困難でもなく、いちばん人物画に適している。そして微妙な表情も読み取れる距離なので、モデルの「心」が見えやすい。人物画の名作は、モデルの人間性まで表現しているが、ほとんどがこの距離で描いている。

1m 以下
彫刻家は手の届く至近距離で制作することがあるが、手で触って形を確かめるためで、絵画の場合には近すぎて、全体を一目で捉えることができない。またモデルの内面が強く出すぎて、絵画に必要な、第三者的に見る客観性が保てない。

2020年4月18日土曜日

公共空間のソーシャル・ディスタンス

Social Distance in Public

ソーシャル・ディスタンスの名著「かくれた次元」から、続きとして3回目の紹介をする。著者のホールはアメリカの大学で建築・デザインを教えていた人なので、ソーシャル・ディスタンスの研究も、空間設計の指針につなげる目的で行っていた。


空港ロビーのベンチの機械的に一直線に並べたベンチは、電車の座席と同じで、他人との物理的な距離は近いものの、お互いに会話をすることはない。このように他人との社会的関係のない人どうしの、よそよそしい空間を「離社会的空間」と呼んでいる。
イタリアなどでは、よく街中で輪になって議論している。歩道のカフェで、小さな丸テーブルのまわりを椅子が囲んでいる配置は、顔を寄せ合って話す文化をそのまま形にしている。このような人間どうしを互いに引きつける空間を「集社会的空間」と呼んでいる。
公共の施設でよくある円形のベンチは、カフェとは反対に外側を向いて座るので、空港のベンチよりさらに「離社会的空間」だ。混んでいない限り、他人とは2〜3メートル離れたソーシャル・ディスタンスを保って座る。人のまわりに目に見えないテリトリーを感じるからで、その中に入らないように気を使う。逆に他の席が空いているのに隣に座られると、テリトリーに侵入されたような不快感を感じる。

(余談だが、電車は、社会的関係のない人どうしの典型的な「離社会的空間」だから、他人の存在をほとんど意識しない。だから、電車の中で化粧している女性は、他人と分離されたテリトリーの内にいるという、自宅と同じような感覚になってしまい、きわめて個人的なことを公共の場でやれてしまう、と心理学者は説明している。)

2020年4月16日木曜日

文化によって異なるソーシャル・ディスタンス

「The Hidden Dimension」 &  Social Distance

有名な「かくれた次元」(エドワード・T・ホール)で、人が誰かと会うとき、相手との間にとる距離について、4つの距離に分類している。密接距離、個体距離、社会距離、公衆距離、で、新型コロナのおかげで流行語になった「ソーシャル・ディスタンス」は、このうちの「社会距離」に当たる。

以上はこの間の投稿で書いたことだが、この本ではさらに興味深い話がいろいろ出てくるので、追加したい。それは人との距離感が国や文化によって異なることで、事例をたくさんあげている。

今コロナ対策で、行列に並ぶ時に、「ソーシャル・ディスタンス」をとるよう呼びかけているが、アメリカ人はバス停などで並ぶとき、もともとこのように間隔を空ける習慣があるそうで、これは、体を触れ合うことを避ける習性のある鳥と同じだと指摘している。


一方フランス人は、人との接触をあまり気にしない。この街頭演説を聴く人たちは密集している。カフェなどでも隣とくっつきそうな距離で座っている。これは体を接触しながら休息するセイウチの習性に似ているという。


アメリカの野球を見ていると、監督が審判に抗議するとき、顔をくっつけるくらいに文字通り「詰め寄っている」のをよく見る。完全に「密接距離」だから、つばも飛んでコロナ的にはよくない。同書は、日本は「間」の文化だとして、例に龍安寺の庭をあげている。石を見せるのではなく、石と石の間の空間を意識させるように設計されている。アメリカの野球監督のような光景を日本では見ないのは、「間を置く」文化の表れかもしれない。


2020年4月12日日曜日

新型コロナ拡大と、カミュの「ペスト」

Albert Camus 「La Peste」

学生時代にカミュの熱烈愛読者だったので、新型コロナで「ペスト」のことをすぐに思い出した。最近の報道で、7 0 年も前のこの本が改めてベストセラーになっているというから、考えることはみな同じだ。

ペストの感染により都市封鎖された街で、拡大防止のために闘う医師らの姿を通して、困難に直面した人間がどう生きるべきかを描いている。

カミュは、ナチスドイツに占領された戦時のフランスで、レジスタンスの地下組織に加わり、命の危険を冒しながら反ナチスの地下新聞を発行し続けた。「ペスト」はその頃から書き始め、戦後に発表して大ベストセラーになり、ノーベル文学賞も受賞する。だから、この小説のペストは戦争を意味していると解釈されている。

2020年4月10日金曜日

トリアージ、救命ボートの倫理、「タイタニック」

Triage,   Lifeboat Ethics, 「Titanic」

人工呼吸器が足らなくなったニューヨークの病院で「トリアージ」がついに始まったという。助かる見込みのない重症患者の人工呼吸器を外して、助かりそうな患者へ回す。戦争映画の野戦病院の場面でよく見る「命の選別」をする。

こんな時、倫理的問題の比喩として必ず出るのが有名な「救命ボートの倫理」だ。遭難船の救命ボートがすでに満員だが、まだ乗れない人がいる時どうするか。a)ボートが沈んでしまうが残りの人も乗せる、b)乗れない人は見捨てる、c)乗っている人の何人かが席を譲って交代する、の3択。

映画「タイタニック」で「救命ボートの倫理」が比喩としてでなく、そのまま出てきた。ボートが足りないので、女性と子供だけを乗せている混乱のなか、上流階級の男が、とっさにそばにいた子供を抱き上げ「この子の親だから乗せてくれ」と叫んで乗ってしまう。一方、ボートに乗れなくて恋人と一緒に海に投げ出されたレオナルド・ディカプリオは浮かんでいた板をつかまえるが、小さくて二人乗ることができない。ディカプリオは恋人に譲って、自分は流氷の海に浸かったままで死を選ぶ。いちばん泣かせるクライマックスのシーンだった。

トランプ大統領は人工呼吸器の増産を指示したが、それを他国に譲り渡すなと命令したそうだ。ディカプリオのように人工呼吸器という救命ボートを譲ることはないようだ。

2020年4月8日水曜日

ソーシャル・ディスタンス

Social Distance

コロナのおかげで「ソーシャル・ディスタンス」という言葉が日本でもすっかり流行語になった。これを言い始めたのは、名著「かくれた次元」(エドワード・T・ホール)で、人間が相手との間にとる距離について、文化人類学的に研究した本だった。この機会に 4 0 年ぶりに再度読んでみた。

人が誰かと会ったり、話したりする時の距離は、両者の人間関係、あるいはその時のお互いの気持ちによって決まる。それを4種類の距離に分類している。

密接距離( 45 cm 位) 
恋人・親子など

「3密」のうちの「密接」に当り、カラオケやナイトクラブは、この距離になりやすいから望ましくない。
イタリアでコロナが急拡大したのはハグ・キス・握手などの密接距離文化のためと言われる。
個体距離( 1, 2 m 位)
友人・同僚など

親しい人どうしのかなり近い距離だが、密接距離ほどではない。
コロナ対策で、行列に並ぶ時にも、少なくともこの位の間隔を空けて、と呼びかけている。
社会距離(2 ~ 3 m 位)
会議・来客の応接など

業務などの社会的関係にある人どうしの距離で、「ソーシャル・ディスタンス」はこれに当る。
コロナ対策としては、個人的関係でもこのくらいの距離をとることが望まれている。
公衆距離(4 ~ 7 m 位)
講演・教室など

1人対不特定多数の関係にある時の距離で、マイクを使うことが多い離れた距離。


2020年4月6日月曜日

「感染症と文明」

「Infection & Civilization」

「感染症と文明」という本を読んでいるが、感染症と人類との闘いの歴史を描いている。定住農耕社会の始まりとともに感染症が生まれ、メソポタミアなどの古代文明で感染症は猛威を振るうようになる。「コロンブス交換」によって持ち込まれた感染症でインカ帝国が滅亡。アフリカを植民地にした帝国主義時代に感染症研究が発達。・・・などなど

今のコロナを理解するのに参考になりそうなことも出てくる。報道では、新型コロナは子供に感染しにくいというが、逆に「はしか」は子供の病気というイメージがある。その違いはなぜかの種明かしをしている。

「はしか」も元々は大人がかかっていたという。病原菌と違って、細胞のないウィルス(だから生物ではないといわれている)は人間の細胞にヤドカリのようにくっついていないと生きていられない。「はしか」が大人にまず流行したのは、行動範囲が広く人数の多い大人の方がくっつきやすいからにすぎず、大人のほとんどに免疫ができてしまえば、あとは子供にくっつくしかない。それで「はしか」が子供の病気になった。そうなった段階で、社会全体への壊滅的な被害の脅威がなくなり、「普通の病気」になる。今の「新型」は生まれたばかりなので、その段階になるまでまだ時間がかかるということだろう。

2020年4月4日土曜日

東京オリンピックは開けるか  バンクシーの警告

Banksy & Olympic

バンクシーの絵にこんなのがある。平和の祭典と言いながら、政治的に利用されてきたオリンピックを皮肉っている。その極端な例が、テロ事件のあった 7 2 年のミュンヘン大会や、国際的ボイコットがあった 8 0 年のモスクワ大会だろう。

東京大会も、2 1 年までに全世界でコロナが終息していない状態で開いたとしたら、参加できない国や、ボイコットする国が出てくるかもしれない。もしそうなると、この絵の状態が日本で再現されることになる。

2020年4月2日木曜日

外出制限によってコロナ拡大がどう変わるかのシミュレーション

The simulation of coronavirus spread

前回の投稿で紹介した、外出制限の効果を可視化したモデルは、ざっくりとしたものだったが、もっと強力なのを見つけた。「ワシントン・ポスト」紙が制作したものを、読売新聞が紹介している。いろいろなパターンでの外出制限政策の違いによって、感染拡大の仕方がどう変るかを動画でシミュレーションしている。わかりやすくて、しかも面白い。


「外出制限」を、 7 5 % の人が守った場合と、9 0 % の人が守った場合の違いや、中国のような「完全隔離」の効果などが一目でわかる。日本の政府やメディアも「自粛のお願い」だけでなく、こういう科学的なデータを出せば、みんなもっと協力すると思うが。