「Peeping Tom」
「血を吸うカメラ」という映画がある。1960 年の古い映画で、ジャンル的にいうと「サイコホラー」映画だ。 原題が「Peeping Tom」で、日本語で「のぞき魔」だ。公開当時、興行的に全くダメで、B級映画として葬り去られてきた。それが近年、映画理論研究の観点から、この映画が注目されているようだ。ストーリーはざっとこんな感じ。
内気な映画カメラマンの主人公は、裏の顔がある。常軌を逸した方法で女性を惨殺しては、恐怖と苦痛に歪む顔を映像に収めてコレクションし、自宅で密かに上映している。ある時、近所の女性と親しくなり、交際を始める。やがて主人公は彼女をモデルにして、より迫真の恐怖の映像を撮りたいという欲求が高まっていく・・・
映画研究者の岡田温司氏は著書「映画は絵画のように」のなかで、映画の本質には3つの要素があり、それは「窓」「皮膚」「鏡」で、「血を吸うカメラ」にはこの3つが見られるとしている。だからこの映画は、「映画とは何か」について語っている「メタ映画」だとしている。(だから主人公が映画カメラマンだ)3つについての説明が膨大で、簡単に紹介できないので、同書を読んでもらうしかないが、それぞれをひとことでいうとこうだ。
映画の冒頭、主人公が手持ちカメラを持って夜の通りにただずむ娼婦にゆっくりと近付いてゆき、やがてカメラは長回しのまま、彼女が部屋へ入って服を脱ぎ始めるところまでノーカットで写し続ける。その間、画面は、主人公のカメラのファインダーで見た画像を映し続ける。だから、ファインダーの中の照準を合わせる十字の線が入っている。カメラという「窓」を通して対象を見つめている。
「皮膚」とは「触覚」のことで、映画はこれまで、視覚芸術として「視覚」中心にしすぎたをことに対する反省があるという。この映画で、主人公の恋人の母親が盲目なのだが、彼を怪しい人間だと感じていて、その顔を手で触ってそのことを確かめようとするシーンがある。たしかに現代では CG の発達で質感表現などの「接触的視覚性」が高度にできるようになっている。
映画のクライマックスで、主人公の撮った殺しの映画を見せられた恋人は「あれは女優の演技でしょ」と祈るように尋ねる。しかし彼は残酷に「ノー」と答える。そして主人公は凶器を手にして恋人に迫っていく。凶器が首スレスレに近ずいた時の彼女の歪んだ表情が、凸面鏡に映る反射像のように映し出される。
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