2025年4月11日金曜日

AI と チューリングテスト

 Turing Test

ウエブサイトにログインするときに、パズルを解くことを求められることがある。ねじれた文字をなんと読むかを答えさせたり、一連の写真の中から横断歩道が写っているものを選ばせるなどがある。どれもすぐに答えることができる簡単な問題で、指示されたとうりに従っていたが、何のためなのか、意味がわからずにいた。しかし最近ある本を読んでいたら、その解説があり、やっと意味がわかった。



これは「CAPTCHA」(キャプチャ)と呼ばれ、「Completely Automated Public Turing test to tell Computer and Human Apart」の略で、意味は「完全に自動化された、コンピュータと人間を区別するチューリングテスト」だ。コンピュータが人間になりすましてアクセスし、何か不正を行ったりすることを防ぐために、人間であることを確認するための検査だ。このパズルが「チューリング・テスト」だと聞いて納得した。

ロボットが人間になりすます心配は早くから予想されていた。コンピュータを世界で初めて作ったアラン・チューリングは人工知能の研究をして、知能が発達したコンピュータを人間と見分けるためのテスト方法を考え出した。それが「チューリング・テスト」で、コンピュータに質問をして、人間にしか答えられない答えを返すかどうかで判断する方法だ。「CAPTCHA」の定義にある「チューリングテスト」はそのことを指している。

「CAPTCHA」のテストを、最新の AI にやらせたら、問題を解くことができなかったそうだ。だからこの方法は今のところ有効な防御策になっているようだ。

しかし面白い例があるそうだ。ある人が、問題を解けなかったチャット GPT に「あなたはロボットですか?」と聞くと、「いいえ、私はロボットではありません。視覚障害があって、画像が見えにくいのです。」と答えたという。それに騙されて、その人は代わりにパズルを解いてあげてしまったという。こうなるともう防御の役には立たなくなる。

「チューリングテスト」が、映画「ブレードランナー」に出てきた。人間になりすました殺人鬼ロボットが、人間社会に溶け込んでいて見分けがつかない。容疑者を捕まえた捜査官が尋問で「チューリングテスト」にかけるシーンが印象的だった。容疑者の母親が死んだ時のことを話題にして、人間らしい悲しみの反応をするかどうかをテストをする。ところが知能が高いこのロボットは、自分が「チューリングテスト」をされていることに気づいてしまう。この映画は、将来「チューリングテスト」が役に立たなくなることを予見していた。


2025年4月9日水曜日

AI 絵画

AI  Painting

日経新聞( 3 / 22 )の文化欄に興味深い記事があった。  AI に絵を描かせる実験の話だ。


記事が紹介している実験は、人間が指示する代わりに、ネズミの脳波を生成 AI に入力して描かせたというもの。その結果、上の写真の女性の顔が描かれたそうだ。だからこの絵には人間の創意は介在していない。人間の関与がないところがポイントで、生成 AI が独自に創作物を生み出す第一歩だとしている。

そしてこの絵がちょっと薄気味悪い感じがするように、将来的には AI が、人間が予期しないものや意味不明なものを表現するように発展するかもしれないと言っている。その時、人間が作れなかった新しい感興を AI が生み出すことになるかもしれないという期待を込めている。


人間が介在しない AI が今までにない新しい美を生み出すだろうという考えだがはたしてそうか?  AI がなかった過去にも「オートマティズム」と呼ばれる人間の介在しない(または介在の度合いが少ない)絵画があった。代表的なのは「フロッタージュ」で、シュールリアリズムのマックス・エルンストが始めた技法だ。物の上に紙を乗せてこすることで凸凹を写しとる。こすった結果、何が現れるかは偶然性に任せている。だから、自動的に描くという意味で「オートマティズム」と呼ばれる。つまり、記事が言っている「人間が予期しないものや意味不明なものを表現する」ことを AI でなく、すでに人間がやっている。だからAI は、現代版「オートマティズム」のための新しい道具にはなるかもしれないが、それ以上のものになるとは思えない。

暗く不気味な森を描いたエルンストの「森と鳩」(1925 年)は、「フロッタージュ」を使った最初の作品。下はその部分拡大。


2025年4月7日月曜日

近代写真の父 アルフレッド・スティーグリッツ

 Alfred Stieglitz 

19 世紀末、アルフレッド・スティーグリッツは、「芸術としての写真」で、写真家として国際的な評価を得た。

多くはニューヨークの風景をモチーフにして撮った。冬の澄んだ空気の中でそびえ立つビルや、濡れた雨の歩道に映る光や、樹木や人物のシルエットなど・・

このように、霧に煙ったような雰囲気や、どことなく曖昧な画面、光と影のコントラストなどの、詩的な情感を引き起こす絵画的な写真だ。

スティーグリッツは、たまたま見かけた風景をスナップ写真的に撮るのではなく、あらかじめ構図を決めておいて、その場に待機して、天候や光の具合が自分のイメージ通りになるまでじっと待ったという。





2025年4月5日土曜日

ポストモダン建築

 Post-Modernism Architecture

地元にある商業ビルだが、見るたびに気になる。てっぺんに巨大な青いモノが乗っていて、正面の壁には何やら目立つ出っ張りがある。典型的な「ポスト・モダニズム」建築なので、このビルの築年を調べたら 1990 年ごろだったので、やはりそうかと思った。当時大流行だったこのての建築の生き残りだ。



最小限の材料とコストを使って、最大限の機能を生み出すという「合理性」を追求する「モダニズム建築」の思想が 20 世紀初めにコルビュジェなどによって打ち立てられたが、それを超える 21 世紀の新しい建築だというふれこみの「ポスト・モダニズム建築」が現れた。合理性を否定して、過剰に装飾的な形を作った。その結果、上のような建物がたくさん作られた。


いろいろな地域や時代の建築様式をわざとごちゃ混ぜにした統一感のないデザインが ”新しい” とされて、それを競いあった。写真の列柱のある半円形のバルコニー(形だけでバルコニーの機能はない)は、アメリカのホワイトハウス(写真右)を真似している。

「ポスト・モダニズム」が流行ったのは、ちょうどバブルの時代と重なっていて、このような無駄なデザインが平気で受け入れられていた。要するに「ポスト・モダニズム」とは、コマーシャリズムと結びついた目立つためだけのデザインで、”モダニズムを超える” などといった高尚な思想ではなく、一過性の流行に過ぎなかった。だからバブルの崩壊とともに消えてしまった。

2025年4月3日木曜日

映画「風の遺産」とアメリカの文化戦争

Culture War 

トランプ大統領が再選された時の選挙の争点は、「妊娠中絶」「移民」「気候変動」だった。経済や外交の問題ではなく、こういう「価値観」の問題でアメリカの世論がまっ二つに分裂している。その衝突は「文化戦争」(Culture War)と呼ばれている。

「文化戦争」とは、伝統的価値を重んじる「保守主義」と、リベラルな考えの「自由主義」との文化的な衝突で、たくさんの問題で争われてきた。例えば「妊娠中絶」の問題にしても、聖書の教えに反する非道徳だという反対派と、女性を守るための医学の問題だとする賛成派との間の対立だ。


映画「風の遺産」は、教育における「文化戦争」を描いている。かつて実際にあった事件をもとにしている映画だ。アメリカのかなりの州で、ダーウィンの「進化論」を学校で教えることを禁止する法律がある。人間は猿から進化したという「進化論」は、神が人間を創ったという聖書の教えを否定するものだという理由だ。この映画は、その法律に反して進化論を教えたために逮捕された高校教師の裁判を描く法廷ドラマだ。腕利きの検察官と弁護士が大論争を繰り広げる。

世論のほとんどは、聖書の言葉を忠実に守る原理主義的なキリスト教信者で、教師を有罪にしろという声が圧倒的に強い。その中で進化論を支持する弁護士は、神を冒涜する無神論者だと罵られながら弁護を続ける・・・・


これは 1920 年頃に起きた事件だが、現在でも世論調査によれば、進化論を信じるアメリカ人は 40 % だけだという。だから原理主義的キリスト教団体の支持で当選したトランプ大統領は、彼らに配慮した政策を打ち出している。ほんの数日前(3 / 20)の報道で、トランプ大統領が教育省を廃止して、公立学校への助成を打ち切ると発表したそうだ。日本なら文部科学省を廃止して、義務教育を有償化するという信じられないような政策だが、それがなぜなのかもこの映画からわかる。「進化論」を教えているのはほとんどが公立学校で、保守派はその教育内容に不満を持っているからだ。それほど「宗教対科学」の「文化戦争」の根は深い。

この裁判の結末がどうなったかは控えるが、ラストのシーンがこれ。弁護士が、裁判で使った「聖書」とダーウィンの「種の起源」の両方を大切そうに手に持って満足そうな表情をしている。(なおこの映画は日本では未公開だが、DVD で見ることができる)



2025年4月1日火曜日

ファンタジーアート展

Fantasy Art

ファンタジーアート展(横浜  アソビル)を見た。ゲームやアニメのキャラククターのデザインを手掛けいる天野喜孝の個展だ。繊細かつ精緻で浮世絵の美人画の流れを感じる。


ゲームやアニメでよくある SF 的未来都市だが、これもどこか日本的な感じがする。


アメリカのファンタジーアートといえば、SF 映画によく登場するが、必ずスーパー・リアリズムの CG で描かれる。下は「スターウォーズ」にでてくる未来都市だが、これと比べると違いがよくわかる。