2022年11月12日土曜日

江戸の首都防衛体制

 1 9 世紀初めに外国艦船がたびたび日本近海に現れるようになり、危機感を抱いた幕府は国防体制を固める。首都防衛のために東京湾を囲む東京、神奈川、千葉、の沿岸に軍隊を配備する。アメリカのペリー艦隊来訪頃の東京湾海防を示したこの図から、軍備体制がかなり整っていたことがうかがえる。


上段は、幕府が指名した海防を担当する大名たちの名前と分担場所の一覧表。分担場所として神奈川県側では、浦賀、三崎、横浜、本牧、金沢、神奈川、などの地名が記載されている。下段は、その配置場所を示す地図。三浦半島が実際より大きく描かれていて、東京湾海防の要だったことがわかる。

江戸近くには台場がたくさん描かれている。横須賀の猿島は天然の台場で、砲台があった。第二次世界大戦時にも使われて、その遺構が今も残っている。

この絵は瓦版で、浮世絵ではない。江戸時代、浮世絵は検閲制度があり、このような軍事機密に関わるような出版物は認められないため、瓦版という形をとったという。(神奈川県立近代歴史博物館編「横浜浮世絵」による)

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