松本竣介は「Y 市の橋」という絵を繰り返し、描いている。Y 市とは横浜のことで、モチーフは横浜駅のすぐそばにある「月見橋」で、現在も復元されて当時のまま残っている。そのシリーズは 1 9 4 2 年から 1 9 4 4 年くらいの、戦争真っただ中の時代に描かれた。
1 9 4 5 年に横浜が爆撃された時、この橋はコンクリート部分が壊れ、鉄筋がむき出しになってしまった。松本竣介は、終戦の1ヶ月後にはもう現場に行ってスケッチした。3枚目のスケッチには進駐軍のジープが描かれている。その後、油彩にするが、悲惨だとか悲しいとかいう感情をまじえず、客観的にクールに描いている。(画像は「松本竣介展」より)
竣介自身は、家も焼かれず、肉親も亡くすこともなかったが、こう言っていたそうだ。「われわれは申し訳けないくらい全てが残った。そして思想的にも無キズのまま、前途のある自分がいる。」と自分を励ましていたという。(画集「松本竣介展」による) 戦争中、有名な画家たちが戦争賛美の絵を描いたが、松本竣介は無関係だったことを「思想的に無キズ」と言っている。・・・もうじき 7 5 年目の 8 / 1 5 を迎える。
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