2019年11月9日土曜日

オリンピックは「民族の祭典」?

「Olympia」

オリンピックのマラソン会場変更でドタバタしているようだが、そもそもオリンピックを夏にやるのがこの問題の根本的な原因だ。それはスポーツイベントが夏に無いからというテレビ局の都合で決まっている。(このことを TV は言わない)オリンピックの開会式が、荘厳で、派手派手しく、大げさなのも、テレビ写りをよくするためだ。

現在のオリンピックのスタイルは戦前のベルリン大会でヒトラーが始めたもの。威容を誇る大スタジアムの建設、ドイツ文化の正統性を示すためのギリシャからの聖火リレー、開会式での軍隊的な入場行進、儀式めいた聖火台への点火、ナショナリズムを煽る国旗掲揚や国歌演奏、などオリンピックをドイツの国威発揚の手段として利用するために始められた。このベルリン大会方式が今だに当然のように受け継がれているのは不思議だ。

映画という映像メディアによる大衆扇動の効果に初めて気づいたのがナチスだった。だから映像を通して視覚に訴えかけるような開会式を始めた。そして大会の記録映画を作るというのもこの大会からだった。それが有名なリーフェンシュタールの「民族の祭典」だが、タイトル通りナチスドイツの偉大さを圧倒的な映像美で表現している。開会式で各国の選手団が貴賓席のヒトラーに向かって右手を上げて軍隊式に行進する。ドイツ選手団の旗はハーケンクロイツ。熱狂する大観衆。開会式の映像は見もの。
→  https://www.youtube.com/watch?v=ospSnqRysgY

リーフェンシュタールは、ナチス党大会の記録映画「意志の勝利」も撮ったが、さらに圧倒的な(威圧的なほど)すごい映像美だ。天才的監督と言われた彼女は、戦後になってナチス協力者として糾弾された。


今は映画に代わってテレビがその役割をしている。

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