Brexit & Banksy
ブレグジット問題で大荒れのイギリス議会の様子が連日報道されている。昨日の NHK ニュースで、決められない政治を皮肉ったバンクシーの絵が話題になっているというので、ネットで調べた。ニュースでおなじみのイギリス議会の風景だが、議員たちをチンパンジーに置き換えている。10 年くらい前の作品だそうで、所蔵していた美術館が今の議会をみて、改めて展示したら大評判になっているという。辛口加減は同じだが、画風はいつものバンクシーと違って写実的だ。
2019年3月31日日曜日
2019年3月29日金曜日
「ラファエル前派の軌跡展」
Exhibition "Parabola of Pre-Raphaelitism"
ラファエル前派は19 世紀後半、伝統にとらわれて新しい表現を認めない画壇に反抗して起きた運動だった。当時の絵の手本がルネッサンスのラファエルだったのに対して、それ以前の中世のような簡素で誠実な表現へ戻ることを目指した。
この運動を支持し、指導者的な立場だったのが、ジョン・ラスキンだったということを初めて知った。ラスキンといえば、近代社会で失われていく簡素な生活を取り戻そうとし、「生活と芸術を一致させる」ことを目指す「アーツ・アンド・クラフツ運動」を主導した思想家というイメージが強かった。また、認められていなかったターナーを擁護して世に売り出したのもラスキンだったというのも意外だった。そしてラスキン自身が描いた水彩画もたくさん見ることができる。
ラスキンといえば、ウィリアム・モリスだが、椅子・壁紙・織物・ステンドグラス・タイルなど、有名な工芸作品も見ることができる。ラスキンを中心にした盛りだくさんの展覧会だ。(三菱一号館美術館、~ 6 / 9 )
(左上)ターナー (左下)モリスの壁紙 (右上)レイトン (右中)モリスの椅子 (右下)ラスキンの建築レリーフの模写 |
同展の子供向けチラシが分かりやすい |
ラスキンといえば、ウィリアム・モリスだが、椅子・壁紙・織物・ステンドグラス・タイルなど、有名な工芸作品も見ることができる。ラスキンを中心にした盛りだくさんの展覧会だ。(三菱一号館美術館、~ 6 / 9 )
2019年3月27日水曜日
「野口久光 シネマ グラフィックス」展
Movie poster by Hisamitsu Noguchi
横須賀美術館へ野口久光の映画ポスター展を観にいった。野口は高校の大先輩で、東京芸大を卒業後、東和映画宣伝部に入り、ヨーロッパ映画のポスターを描き続け、戦前・戦後を通してほとんどすべての洋画を一人で手がけた。作品のかなりが見た覚えがあり、学生の頃観た「第三の男」や「禁じられた遊び」などははっきり記憶に残っている。
フランスのオリジナルポスターの展示もあり、野口の日本版と比較できる。モジリアニの生涯を描いた「モンパルナスの灯」などで違いがよくわかる。オリジナルは手描きであっても表現が写真的なのに対して、野口はあくまで絵画的だ。俳優の顔の鉛筆スケッチが多数あったが、しっかりしたデッサンが基礎になっているのがわかる。タイトル文字も、フランス版の活字に対して、手描き文字で、手描きらしさにこだわっている。
やがて時代が変わり、映画ポスターは写真や CG に移っていくにつれて、野口の活躍も1960 年代までで終わる。見る人のイマジネーションを刺激する絵画的ポスターの終わりは、映画自体が「物語」でなくなっていった変化と無関係でない思う。
横須賀美術館へ野口久光の映画ポスター展を観にいった。野口は高校の大先輩で、東京芸大を卒業後、東和映画宣伝部に入り、ヨーロッパ映画のポスターを描き続け、戦前・戦後を通してほとんどすべての洋画を一人で手がけた。作品のかなりが見た覚えがあり、学生の頃観た「第三の男」や「禁じられた遊び」などははっきり記憶に残っている。
やがて時代が変わり、映画ポスターは写真や CG に移っていくにつれて、野口の活躍も1960 年代までで終わる。見る人のイマジネーションを刺激する絵画的ポスターの終わりは、映画自体が「物語」でなくなっていった変化と無関係でない思う。
2019年3月25日月曜日
縄文の住居遺跡
A prehistoric pit dwelling
地元にある原始時代の住居跡「三殿台(さんとのだい)遺跡」へ初めて行ってみた。縄文・弥生・古墳の3時代にわたって集落があったところで、竪穴住居が復元されている。
屋内に立派な炉があるが、燃えやすい茅の屋根がすぐそばにあり心配になる。建築史の本で調べてみたら、炉のすぐ上に水平の板を置いて炎をさえぎる防火対策をしていたと推測されているという。屋根は入母屋で、妻に煙出しの開口を設けているが、火を勢いよく燃やすと、暖気は煙と一緒に逃げてしまうので、ちょろちょろと燃やしていたのではないかという。室内はけっこう暖かかったらしい。
入母屋の茅葺屋根の古民家は、今でも田舎へ行くとたまに見かける。それと比べると、壁がなく屋根を直接地面に設置している(伏屋式)違いだけで、屋根自体は形も骨組みも全く変わらない。日本伝統の屋根の原型がすでに4千年も前からあったと思うと面白い。
屋内に立派な炉があるが、燃えやすい茅の屋根がすぐそばにあり心配になる。建築史の本で調べてみたら、炉のすぐ上に水平の板を置いて炎をさえぎる防火対策をしていたと推測されているという。屋根は入母屋で、妻に煙出しの開口を設けているが、火を勢いよく燃やすと、暖気は煙と一緒に逃げてしまうので、ちょろちょろと燃やしていたのではないかという。室内はけっこう暖かかったらしい。
2019年3月23日土曜日
絵画の中の光の方向が右か左かは大問題か?「絵画の中の光と陰」(三浦佳世)の記事について
日経新聞に三浦佳世という人が「絵画の中の光と影」という連載コラム記事を書いている。3 / 1の記事では、これまで大多数の絵が左光源で描かれてきたので、人はそれに慣れてしまっていて、左光源の絵を自然に感じて、右光源の絵は不自然に感じると言っている。その根拠にフェルメールをあげている。
統計的には確かに左光源が多いし、我々アマチュアでも左光源で描くことが多いが、それは記事でも言っている通り、単純に手暗がりにならないようにするためで、とくに「自然な感じ」にしたいなどということとは関係ない。100% 左光源で描いたフェルメールはむしろ特異な例で、右光源の絵も山ほどたくさんある。その例をあげる。
この二つは、ともに 17 世紀オランダの室内画で、左はフェルメールで、右はそのライバル的存在だったホーホの作品。比べると、フェルメールは左光源で、ホーホは右光源で描いている。しかしどちらも「自然な」感じで、ホーホの絵が「不自然」に感じることもない。光をどう表現するかは絵画の重要なテーマであるのは間違いない。しかし「光の方向が右か左か」はこの著者が大発見と思っているほどにはたいした問題ではないことがわかる。
2019年3月21日木曜日
「視覚心理学が明かす名画の秘密」(三浦佳世)での「フェルメールは遠近法に違反している」についての?
Vermeer's perspective
前回投稿の補足。
フェルメールの「牛乳を注ぐ女」の遠近法は「おかしい」と著書だけでなく新聞にも書いているが、この「おかしい」主張を多くの人が信じてしまうのではないかと心配する。そこで前回書いたことをもう少し補足しておく。
この絵の室内の平面図を描くとこのようになっている。(テーブルが斜めに置かれていると考える根拠については以前に書いた。) テーブルと足温器は、窓と平行ではなく、それぞれ違った角度で置かれている。平行でない物の消失点は違う所にできるのは遠近法の常識で、この場合も、それぞれの消失点は別々の位置に3つできる。しかしこの本では、消失点が一致しないことを理由にフェルメールは「消失点を無視している」と言っているのだが、著者は、消失点は常に一点でなければならないと信じていることが分かる。
絵に補助線を引いて消失点の位置を調べるとこのようになる。ここで最も重要なのは、3つの消失点すべてが、アイレベル(見ている人の目の高さ)の線上に見事なくらいぴったり乗っている点で、このことがフェルメールの遠近法がきわめて正確であることを証明している。このように消失点が画面の外にあると、著者のように「消失点を無視している」と思いがちになる。また地平線がはっきり見えている風景画のような場合以外は「アイレベル」は目に見えない概念なので理解が難しく、しかもそれは作図してみないと確認できない。だから「フェルメールは遠近法に違反しており、ありえない空間を描いている」と的外れな解釈になってしまう。遠近法に忠実だったフェルメールに対して、この「視覚心理学者」が「実はおかしいことがわかった」という「大発見」をあちこちで言いふらしているのは残念だ。
フェルメールの「牛乳を注ぐ女」の遠近法は「おかしい」と著書だけでなく新聞にも書いているが、この「おかしい」主張を多くの人が信じてしまうのではないかと心配する。そこで前回書いたことをもう少し補足しておく。
この絵の室内の平面図を描くとこのようになっている。(テーブルが斜めに置かれていると考える根拠については以前に書いた。) テーブルと足温器は、窓と平行ではなく、それぞれ違った角度で置かれている。平行でない物の消失点は違う所にできるのは遠近法の常識で、この場合も、それぞれの消失点は別々の位置に3つできる。しかしこの本では、消失点が一致しないことを理由にフェルメールは「消失点を無視している」と言っているのだが、著者は、消失点は常に一点でなければならないと信じていることが分かる。
(テーブルと足温器は斜めなので2点透視になるが左の消失点は省略した) |
2019年3月19日火曜日
「視覚心理学が明かす名画の秘密」(三浦佳世)でのフェルメールの遠近法についての?
Perspective of Vermeer
三浦佳世という人が「視覚心理学が明かす名画の秘密」という本で「フェルメールの遠近法がおかしい」と言っていたが、この人が今度は日経新聞の「絵画の中の光と影」という連載コラムでまた同じことを書いている。2 / 7 の記事で、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」の遠近法について「窓と机の消失点が一致せず、右下の足温器に至っては消失点を無視して描かれている。」と言っている。
この絵の右下にある足温器は中に炭火を入れて足を温める道具だが、これは明らかに壁に対して平行でなく、斜めに置かれているから、窓などの消失点と一致しないのは当たり前だ。一つの消失点に収斂するのは平行な物同士のあいだのことで、斜めのものはそうではないというのは遠近法の常識だが、著者はどんな場合も消失点は必ず一つでなければならないと信じこんでいるようだ。
その関係の作図。窓の消失点(VP1)を求め、それを通る水平線がアイレベル(E L)だが、足温器の消失点(VP2)がその線上にぴったり乗っている。(斜めに置かれている足温器は、左右に二つ消失点ができるが左側は省略した)フェルメールの遠近法が正確であることがわかる。
ちなみに消失点は必ずしも一つだけではないことの例として、遠近法の教科書にこんな風景スケッチが載っていた。右手前の道路と遠くの道路は平行でなく、角度がついているから消失点(VP) は二つ別々の位置にできている。さらにこの場合は、手前の道路が下り坂になっているのでアイレベル (EL) にも乗っていない。
(図は "Objective Drawing Techniques" より)
遠近法に忠実だったフェルメールに対して「消失点を無視している」というのが「視覚心理学者」が発見した「名画の秘密」らしい。
この絵の右下にある足温器は中に炭火を入れて足を温める道具だが、これは明らかに壁に対して平行でなく、斜めに置かれているから、窓などの消失点と一致しないのは当たり前だ。一つの消失点に収斂するのは平行な物同士のあいだのことで、斜めのものはそうではないというのは遠近法の常識だが、著者はどんな場合も消失点は必ず一つでなければならないと信じこんでいるようだ。
その関係の作図。窓の消失点(VP1)を求め、それを通る水平線がアイレベル(E L)だが、足温器の消失点(VP2)がその線上にぴったり乗っている。(斜めに置かれている足温器は、左右に二つ消失点ができるが左側は省略した)フェルメールの遠近法が正確であることがわかる。
ちなみに消失点は必ずしも一つだけではないことの例として、遠近法の教科書にこんな風景スケッチが載っていた。右手前の道路と遠くの道路は平行でなく、角度がついているから消失点(VP) は二つ別々の位置にできている。さらにこの場合は、手前の道路が下り坂になっているのでアイレベル (EL) にも乗っていない。
(図は "Objective Drawing Techniques" より)
遠近法に忠実だったフェルメールに対して「消失点を無視している」というのが「視覚心理学者」が発見した「名画の秘密」らしい。
2019年3月16日土曜日
氷川丸のアール・デコ
Art-Deco of cruise ship Hikawamaru
また氷川丸へ行って、船室のアール・デコを眺めたが、何度見ても美しい。日本にあるアール・デコは、その様式を学んだ建築家が、それに日本的な味付けを加えたものが多い。しかし氷川丸に最も純粋なかたちで残っているのは、アール・デコの発祥地フランスのインテリアデザイナーがコンペに勝って、そのとうり作られたため。
いちばん有名な階段室の手すり。19 世紀終わりのアール・ヌーボーが有機的な植物模様だったのに対して、20 世紀初めのアール・デコは、定規で作図できる幾何学模様が特徴で、近代的な工業製品が進歩した「機械の時代」を象徴しているかのようだ。当時最先端の大型客船の氷川丸のデザインに使われているのは話が合っている。とはいえアール・デコは語源が「装飾芸術」(デコラティブ・アート)のとおり、今から比べると装飾的だ。
天窓のステンドグラス、鉄扉、柱、家具、など、これぞアール・デコといった美しいグラフィックがいたる所にある。
また氷川丸へ行って、船室のアール・デコを眺めたが、何度見ても美しい。日本にあるアール・デコは、その様式を学んだ建築家が、それに日本的な味付けを加えたものが多い。しかし氷川丸に最も純粋なかたちで残っているのは、アール・デコの発祥地フランスのインテリアデザイナーがコンペに勝って、そのとうり作られたため。
いちばん有名な階段室の手すり。19 世紀終わりのアール・ヌーボーが有機的な植物模様だったのに対して、20 世紀初めのアール・デコは、定規で作図できる幾何学模様が特徴で、近代的な工業製品が進歩した「機械の時代」を象徴しているかのようだ。当時最先端の大型客船の氷川丸のデザインに使われているのは話が合っている。とはいえアール・デコは語源が「装飾芸術」(デコラティブ・アート)のとおり、今から比べると装飾的だ。
天窓のステンドグラス、鉄扉、柱、家具、など、これぞアール・デコといった美しいグラフィックがいたる所にある。
2019年3月14日木曜日
2019年3月12日火曜日
パステル画「梨とぶどう」
完成。ソフトパステル + ハードパステル、キャンソン・ミタント紙、F6号
Soft pastel + Hard pastel, Canson Mi-Teintes paper, 30cm × 35cm
2019年3月10日日曜日
「ホモ・デウス」
" Homo Deus, A Brief History of Tomorrow"
品切れ状態だったベストセラー「ホモ・デウス」をやっと手に入れた。まだ読み終わっていないがさすがに面白い。世界的超ベストセラーになった、ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」は人類がなぜ文明を築いてこれたのかという壮大な物語だったが、これはその続編的な内容で、今度は人類の未来を描いている。「人類はテクノロジーを使って自分自身を思いどうり作り変え、創造するデウス(神)を目指すだろう。」というのがタイトルの意味。どうせ先は永くないから未来はどうでもいいが、子供や孫やそのまた孫がどういう世界で生きていくことになるのか気になる人は一読の価値がある。
2019年3月8日金曜日
2019年3月6日水曜日
2019年3月4日月曜日
2019年3月1日金曜日
最新 AI が描いた絵
Painted by AI
先日のニュースで、 AI が描いた絵が 5000 万円近くの高値で落札されたという話があった。14 世紀から 20 世紀までの約1万5千点の人物画をもとに、最新のディープラーニング技術を使って描かせたものだという。
2年くらい前のAI のレンブラントの絵は、レンブラントのすべての人物画の特徴を学ばせて、レンブラント風の「新作」を描かせたものだった。それに比べると、上の作品は「誰々風」ではなく、かなりオリジナルになっている。AI 技術の進歩は想像以上に早いようだ。絵画だけは AI に代わられないと思いがちだが、画家が失業したり、絵画教室の先生も AI になり、「君たちオリジナリティが無いね。」などと言われたりする日も近いのかもしれない。
先日のニュースで、 AI が描いた絵が 5000 万円近くの高値で落札されたという話があった。14 世紀から 20 世紀までの約1万5千点の人物画をもとに、最新のディープラーニング技術を使って描かせたものだという。