2014年8月30日土曜日
パステル用スケッチブック
普段使っているパステル画用紙の「キャンソン ミ • タント」紙のスケッチブックタイプがあることを知り、購入。SM サイズで、5色、17 シート入っている。普通のミ • タントとまったく同じ紙が使用されているので、目の粗さもいつもどうり。パステルペンシルの黒と白の2色だけを使って試用してみた。
2014年8月21日木曜日
アレクサ • ミードの「エ?」「絵?」
アメリカの女性アーチスト、アレクサ • ミード(Alexa Meade)が面白い。裸体にシャツをリアルに描いて、ほんとうに着ているかのように見せたりする「ボディペインティング」は前からあった。彼女も人体や物体にペイントするのだが、いままでと逆で、わざと絵画的に描く。すると3次元の人体や物体が2次元の絵のように見えてしまう。さらにそれを写真に撮ったものを見せられると、完璧にだまされる。下は日本でパーフォーマンスをやった時の映像。
2014年8月18日月曜日
2014年8月14日木曜日
2014年8月10日日曜日
2014年8月8日金曜日
シド • ミードの未来ファンタジー(6)
未来の夢は実現したか
昨今、あの巨人 G M が販売台数でトヨタや V W に抜かれてしまった。また、車は、省資源、省エネルギー、環境対応、安全性、などが世界的な課題になっているのに、「アメ車」がそういうテーマでイノベーションを起こしたという話はあまり聞かない。
シド • ミードは80才を越えてもなお現役で活躍している。自動車デザイナーから出発してからずっと、車を現実の問題ではなく、夢、つまり「ファンタジー」として描き続けてきたシド•ミードの夢は実現したのだろうか、聞いてみたい。
シド•ミードのオフィシャルWebサイトはこちら
http://sydmead.com/v/12/
昨今、あの巨人 G M が販売台数でトヨタや V W に抜かれてしまった。また、車は、省資源、省エネルギー、環境対応、安全性、などが世界的な課題になっているのに、「アメ車」がそういうテーマでイノベーションを起こしたという話はあまり聞かない。
シド • ミードは80才を越えてもなお現役で活躍している。自動車デザイナーから出発してからずっと、車を現実の問題ではなく、夢、つまり「ファンタジー」として描き続けてきたシド•ミードの夢は実現したのだろうか、聞いてみたい。
シド•ミードのオフィシャルWebサイトはこちら
http://sydmead.com/v/12/
シド • ミードの未来ファンタジー(5)
夢の車
シド • ミードはカリフォルニアにあるアートセンターという美術系大学の出身だが、ここは、G M などのアメリカの自動車メーカーに卒業生をデザイナーとして大量に送り出している学校だ。自分も若い頃ここで学んだことがあったが、当時、学生達はみなシド • ミードをあこがれの先輩として敬い、目標にしていた。彼の絵は学内に展示され、みんなそのテクニックを真似しようとしたりしていた。彼の人物クロッキーなども見たが、デッサン力がしっかりしていて、テクニックだけで描いているのではないことがよく分かった。
卒業するとフォードに就職して、自動車デザイナーとして出発している。そしてその後のイラストレーションの仕事でも車をずっと描き続けている。その車は、その時代時代の流行に乗りつつ、未来を感じさせるスタイリングをしていた。人々が頭に描いている夢の車をビジュアル化してきたのだ。
シド • ミードはカリフォルニアにあるアートセンターという美術系大学の出身だが、ここは、G M などのアメリカの自動車メーカーに卒業生をデザイナーとして大量に送り出している学校だ。自分も若い頃ここで学んだことがあったが、当時、学生達はみなシド • ミードをあこがれの先輩として敬い、目標にしていた。彼の絵は学内に展示され、みんなそのテクニックを真似しようとしたりしていた。彼の人物クロッキーなども見たが、デッサン力がしっかりしていて、テクニックだけで描いているのではないことがよく分かった。
卒業するとフォードに就職して、自動車デザイナーとして出発している。そしてその後のイラストレーションの仕事でも車をずっと描き続けている。その車は、その時代時代の流行に乗りつつ、未来を感じさせるスタイリングをしていた。人々が頭に描いている夢の車をビジュアル化してきたのだ。
(図版引用:「MEAD」より)
(図版引用:「OBLAGON」より)
シド • ミードの未来ファンタジー(4)
楽天的な未来社会
下の3つは1968年に刊行された「イノベーション」というシド • ミードの初期の画集にのっている絵。すでに50年も前になるが、この時代、ベトナム戦争の泥沼化や、公民権運動、自動車の公害問題、などアメリカ社会にさまざまな矛盾が表れはじめた頃だったが、一方でアポロ計画という未来への夢があったり、まだアメリカの自動車産業は世界一だった。そのような背景をもとに、この本でシド • ミードは「イノベーション」というタイトルどうり、技術の進歩がもたらす明るい未来社会を楽天的に描いた。若い頃、この絵を見て、イマジネーションの豊かさと、驚異的な絵のうまさに単純に驚き、あこがれたものだった。
下の3つは1968年に刊行された「イノベーション」というシド • ミードの初期の画集にのっている絵。すでに50年も前になるが、この時代、ベトナム戦争の泥沼化や、公民権運動、自動車の公害問題、などアメリカ社会にさまざまな矛盾が表れはじめた頃だったが、一方でアポロ計画という未来への夢があったり、まだアメリカの自動車産業は世界一だった。そのような背景をもとに、この本でシド • ミードは「イノベーション」というタイトルどうり、技術の進歩がもたらす明るい未来社会を楽天的に描いた。若い頃、この絵を見て、イマジネーションの豊かさと、驚異的な絵のうまさに単純に驚き、あこがれたものだった。
シド • ミードの未来ファンタジー(3)
未来感たっぷりの乗り物
もともとが車のデザイナーだったシド • ミードなので、絵には自身でデザインした未来のオリジナル乗り物がよく登場する。これは彼のもっとも得意とする分野だ。上の絵は月面で作業する4足歩行ロボットのイメージスケッチ。横にはみだした小さい運転席でスケールの大きさが分かる。関節などの歩行メカニズムなどがいかにもありそうに描かれていて説得力がある。下の絵は、40年位前の彼がまだ若かったころの絵で、今と比べると絵の技術では劣るが、コンセプトは大胆で、身に着ける個人用乗り物で、今風に言えば、ウエアラブルヴィークルとでも呼べそうなもの。今では 80 才を越えた永いアーチスト人生だが、その時代時代での「未来感」を乗り物に託して表現してきた。
もともとが車のデザイナーだったシド • ミードなので、絵には自身でデザインした未来のオリジナル乗り物がよく登場する。これは彼のもっとも得意とする分野だ。上の絵は月面で作業する4足歩行ロボットのイメージスケッチ。横にはみだした小さい運転席でスケールの大きさが分かる。関節などの歩行メカニズムなどがいかにもありそうに描かれていて説得力がある。下の絵は、40年位前の彼がまだ若かったころの絵で、今と比べると絵の技術では劣るが、コンセプトは大胆で、身に着ける個人用乗り物で、今風に言えば、ウエアラブルヴィークルとでも呼べそうなもの。今では 80 才を越えた永いアーチスト人生だが、その時代時代での「未来感」を乗り物に託して表現してきた。
(図版引用:「CONCEPTS OF SYD MEAD "OBLAGON」より)
(図版引用:「SENTINEL」より)
シド • ミードの未来ファンタジー(2)
巨大感と精密感
シド • ミードは宇宙ものの S F 映画にも多数関わっているので、宇宙モチーフの絵も多い。これは彼の得意な宇宙船の絵で、「2010」という映画用のイメージスケッチ。パースの使い方がうまく、巨大感がよく出ている。また、機械パーツをむき出しにし、それを緻密に描くことで、精密感を演出している。このような動物の内蔵を連想させるような機械のイメージは、車や建築などのモチーフでも、ハイテク感を出したいときによく使っている。この宇宙船の形はもちろん本物の裏付けによるものではなく、彼の頭の中で作られたもの。
シド • ミードの未来ファンタジー(1)
マシン化した建築
「ブレードランナー」は SF 映画の最高傑作だと思うが、発表当時はまったく人気のない作品だった。しかし近年では 「SF 映画の金字塔」というように、正当に評価されるようになったようだ。人間とまったく見分けがつかないまでに発達して社会にまぎれこみ害悪をもたらしているロボットを探し出して破壊する役目のブレードランナーが活躍する SF アクション映画だ。
この映画にでてくる都市、建築、乗り物、小道具、などのビジュアルすべてをデザインしたのがシド • ミードだ。シド • ミードは自身を「フューチャー • アーティスト」と呼んでいるとうり、未来のイメージを描く天才だと思う。車のデザイナーから出発して、イラストレータになり、近年では「ブレードランナー」のほかにも「トロン」「エイリアン」など映画の仕事で大活躍している。
彼の描いたイメージスケッチをもとにセットやCGが作られ、映像化されていく。下のスケッチは「ブレードランナー」用に描かれた巨大高層ビルの上からの俯瞰した都市のイメージ。はるか下の地面で人間がうごめいている。ビルの壁面はエンジンの部品のような機械パーツでびっしり覆われていて、人間が住んでいることを感じさせるような窓などはない。人間がマシン化したロボット社会に対応するかのように建物もマシン化したように描かれている。(図版引用:「CONCEPTS OF SYD MEAD "OBLAGON"」より)
「ブレードランナー」は SF 映画の最高傑作だと思うが、発表当時はまったく人気のない作品だった。しかし近年では 「SF 映画の金字塔」というように、正当に評価されるようになったようだ。人間とまったく見分けがつかないまでに発達して社会にまぎれこみ害悪をもたらしているロボットを探し出して破壊する役目のブレードランナーが活躍する SF アクション映画だ。
この映画にでてくる都市、建築、乗り物、小道具、などのビジュアルすべてをデザインしたのがシド • ミードだ。シド • ミードは自身を「フューチャー • アーティスト」と呼んでいるとうり、未来のイメージを描く天才だと思う。車のデザイナーから出発して、イラストレータになり、近年では「ブレードランナー」のほかにも「トロン」「エイリアン」など映画の仕事で大活躍している。
彼の描いたイメージスケッチをもとにセットやCGが作られ、映像化されていく。下のスケッチは「ブレードランナー」用に描かれた巨大高層ビルの上からの俯瞰した都市のイメージ。はるか下の地面で人間がうごめいている。ビルの壁面はエンジンの部品のような機械パーツでびっしり覆われていて、人間が住んでいることを感じさせるような窓などはない。人間がマシン化したロボット社会に対応するかのように建物もマシン化したように描かれている。(図版引用:「CONCEPTS OF SYD MEAD "OBLAGON"」より)
2014年8月4日月曜日
絵と写真の関係(3)
1970年頃から1990年頃までのアメリカで、このような絵がさかんに描かれた。写真そのままに精密な写実をする「フォトリアリズム」である。プロジェクターで写真をキャンバスに投影し、その画像を忠実になぞりながら描いていく。
アメリカでは、すでに19世紀から、写真を使って描くことは普通に行われていた。複数の写真を組み合わせて、現実に存在しない理想的な美しい風景を作りあげる「ピクチャレスク絵画」などがその典型。そのようなアメリカ絵画の伝統が受け継がれてきて生まれた現代版ピクチャレスク絵画がこの「フォトリアリズム絵画」ではないか。
ヨーロッパでは、絵とは自然のコピーをすることではなく、自分の内面の真実を描くべきものだとして、写真のように描くことに対して否定的だった。だがアメリカでは、「フォトリアリズム絵画」を、たんに写真を利用して精密に写実した絵と捉えるのではなく、写真やCGといった画像技術によって、人間の眼では見えなかった「写真的視覚」という現代的な新しい「ものの見方」が発見され、それを利用することで生まれた新しい概念の絵画である、という肯定的な評価がされていた。(「アメリカンリアリズムの系譜」より)
アメリカでは、すでに19世紀から、写真を使って描くことは普通に行われていた。複数の写真を組み合わせて、現実に存在しない理想的な美しい風景を作りあげる「ピクチャレスク絵画」などがその典型。そのようなアメリカ絵画の伝統が受け継がれてきて生まれた現代版ピクチャレスク絵画がこの「フォトリアリズム絵画」ではないか。
ヨーロッパでは、絵とは自然のコピーをすることではなく、自分の内面の真実を描くべきものだとして、写真のように描くことに対して否定的だった。だがアメリカでは、「フォトリアリズム絵画」を、たんに写真を利用して精密に写実した絵と捉えるのではなく、写真やCGといった画像技術によって、人間の眼では見えなかった「写真的視覚」という現代的な新しい「ものの見方」が発見され、それを利用することで生まれた新しい概念の絵画である、という肯定的な評価がされていた。(「アメリカンリアリズムの系譜」より)
絵と写真の関係(2)
この絵は、19世紀アメリカで主流だったスタイルの風景画で、「ピクチャレスク絵画」と呼ばれた。ピクチャレスクとは「絵のように美しい風景」という意味と、「絵のように美しい風景を描いた絵」という意味の両方がある。画家たちは、アメリカの大自然をモチーフにして、巨大なキャンバスに「美しく崇高な風景」を描いた。
これらは極端な細密描写の写実的絵画だが、実際には存在しない理想的な「絵のように美しい風景」(=ピクチャレスク)を頭のなかで作り上げ、それを絵にしていたという。その際使われたのが写真で、あちこちで撮ってきた複数の写真をアトリエの中で組合わせながら、風景を作っていったという。「picture」を辞書で引くと「絵」と「写真」のふたつの意味があるから、「絵のような写真」や「写真のような絵」が自然に生まれるのだろう。
(「アメリカンリアリズムの系譜」より)
これらは極端な細密描写の写実的絵画だが、実際には存在しない理想的な「絵のように美しい風景」(=ピクチャレスク)を頭のなかで作り上げ、それを絵にしていたという。その際使われたのが写真で、あちこちで撮ってきた複数の写真をアトリエの中で組合わせながら、風景を作っていったという。「picture」を辞書で引くと「絵」と「写真」のふたつの意味があるから、「絵のような写真」や「写真のような絵」が自然に生まれるのだろう。
(「アメリカンリアリズムの系譜」より)
絵と写真の関係(1)
このふたつ、一見、絵かと思うが、実際は写真で、20世紀前半のアメリカで活躍した写真家アルフレッド • スティーグリッツとその仲間の作品。大都会ニューヨークの街をモチーフにして、雪 • 雨 • 霧 などの自然現象を使って詩情たっぷりの写真を撮った。写真を絵画とならぶ芸術のメディアにした先駆者と言われている。
見えた風景をそのまま撮影するのではなく、あらかじめ理想的な情景を頭のなかでイメージしておいて、風景がそのとおりになるまでカメラを持って、何時間もその場で待ち続けたという。霧に 煙ったような雰囲気、光と影のコントラストの美しさ、建物と自然の対比、などが彼の写真の美の基準になっているが、これらは絵画の美の基準と変わらない。そのような絵画的な写真を彼は「ピクチャレスクな写真」という言葉で言い表している。
「ピクチャレスク」という言葉自体は昔からあって、「絵のように美しい風景」または、そのような美しい風景を描いた絵を指す。それを、記録の手段であった写真の世界に持ち込むことで、作者の内面のイメージを表現する手段に変えたのだ。
(「アメリカンリアリズムの系譜」より)