2026年2月18日水曜日

アテンション・エコノミー

Attention Economy

最近日本でも 「アテンション・エコノミー」という言葉がよく聞かれるようになった。メディアを通して人々の「注目」や「関心」を引くことで稼ごうとする経済を意味する。近年はインターネットとスマホの普及によって、情報が桁違いに速く大量に流れる。同じような情報ばかりを繰り返し見ていると、それに影響されて、無意識のうちに偏った考えを抱いてしまう。そして言動や行動が情報に操られてしまう。

最近は、政治でも「アテンション」を引くために極端なことを言って、選挙で票を集めようとし、人々は SNS から入るそのような情報に影響されてしまうことが問題になっている。


2026年2月17日火曜日

富士見坂

 

東京周辺には、富士山が見える小高い坂の地名で「富士見坂」があちこちにある、江戸時代以来の名前だが、今ではビルに隠れて見えなくなっている場合が多い。坂の多い横浜にも多く、自宅近くには「岡村富士見坂」というのがある。ここは今でもはっきりと富士山が見える。

ビルのなかった江戸時代にはどの程度の範囲まで富士山が見えたのかを広重の「東海道五十三次」で見てみた。五十三次の宿場地図の中の、富士山が描かれている場所を調べてみた。


神奈川県では「川崎」「戸塚」「平塚」で富士を描いている。「川崎」の渡しは多摩川だろうか。あとの2枚の富士はチラッと見えるだけ。



静岡県では、富士山の足元だから、「箱根」「原」「吉原」「由比」「江尻」と立て続けに富士を描いている。特に「原」は沼津近くの町だが、画面をつき抜けるほど大きく描いている。



いちばん遠くで富士を描いているのが静岡県の浜名湖のほとりの「舞坂」。さすがに富士山は小さく見える。ここより西では富士山は登場しない。


2026年2月16日月曜日

朝の富士山

 Mt. Fuji

今朝も快晴。富士山がくっきり。135 mm 望遠レンズ使用。


2026年2月15日日曜日

ブリューゲルの絵のカーリング

Curling in Brueghel

ベルギーで生まれたブリューゲルの絵を見ると、16 世紀の昔から庶民たちが氷の上の遊びに慣れ親しんでいたことがわかり、北欧の国がオリンピックで強いことが納得できる。

ブリューゲルは冬景色をたくさん描いたが、最高傑作といわれる「雪中の狩人たち」で、遠くの凍った池でスケートで遊んでいる人たちが描かれている。


「ベツレヘムの人口調査」は左下に、国勢調査でお役所に来た人たちを描いているが、背景の雪や氷の上で遊んでいる人たちがたくさんいる。拡大して見ると、雪合戦や、スケートや、そり滑りなど、いろいろな遊びをしている。



「スケーターと鳥の罠のある冬の風景」という絵で、凍った川で遊んでいる人たちの楽しそうな光景が描かれている。やっている遊びはカーリングだといわれている。左下を大きく拡大して見ると、たしかに今と同じ形のハンドルのついたストーンが3つ見える。青シャツが投げたストーンを赤シャツと黒シャツが見守っている。カーリングの元祖が 16 世紀にすでにあったことがわかる。



2026年2月14日土曜日

ジョセフ・アレマンの絵画

 Joseph Alleman

毎日のように SNS にプロアマ問わず絵画作品がアップされてくる。だいたいがスルーするが、ジョセフ・アイマンという画家の絵には惹きつけられた。初めて知った画家だが、アンドリュー・ワイエス的なアメリカン・リアリズムの絵だ。ワイエスと同じく田舎の風景をモチーフにしているが、ワイエスほど情緒的でなく、幾何学的な画面構成による構成主義的な絵だ。光と影を巧みに使った構図が魅力的。


 本人のホームページで他の作品も見てみた。多作な画家のようでものすごい数の作品がアップされている。→https://www.josephalleman.com




2026年2月13日金曜日

建国記念の日

 National Foundation Day

一昨日の2月11日は「建国記念の日」だった。「建国記念日」ではなく、間に「の」の入った奇妙な記念日だ。公式的には「建国を祝い、国を愛する心を養う」という趣旨だが、そんなお題目をまに受けてお祝いをする人は一人もいないだろう。こんな無意味な記念日は廃止すればいいと思う。

どの国にも建国記念日はある。アメリカはイギリスの植民地から独立した日、フランスはフランス革命で王政から共和政に変わった日、中国は国共内戦で毛沢東が勝利し共産主義政権を成立した日などを建国記念日にしている。だから記念日の日付ははっきりしている。

日本の場合は、戦前の「紀元節」を引き継いで  2 ・11 にした。その日付は神武天皇が紀元前 660 年の 2 月11日に即位したという「古事記」の記述を根拠にしていた。しかしそれはまだ文字もない弥生時代だから、  2 ・11 という日付は神話の話で、科学的な根拠がない。

どの国も、自国の正統性を示すために建国記念日を制定する。戦前の紀元節は、永く続いた皇統をもとに国の正統性をうたっていたが、軍国主義に利用された。戦後になって  2 ・11 を復活する時、「建国記念日」とは言えず、「建国記念の日」になった。

個人的意見だが、  2 ・11 を廃止して、1868 年(明治元年)に明治維新で近代国家が始まった10 月23 日を建国記念日にすればいいと思っている。


2026年2月12日木曜日

デジタル情報ネットワーク

 「A Brief History of Information Network」

今度の選挙の結果について、SNS の影響が大きかったことについて賛否両論が起きている。

このことを考えるのに、ユバル・ノア・ハラリの「NEXAS  情報の人類史」が参考になる。歴史学者であり、AI の研究者でもある著者は、「情報ネットワーク」というものの意味について根本から問い直している。


古代メソポタミアの「粘土板」は、税の支払いを記録することで、史上初の都市国家を成立させた。中世では印刷術の発明で「聖書」が印刷され、預言者の言葉を世界に伝えることで、キリスト教の宗教を広めた。近代の「新聞」と「ラジオ」は指導者の言葉を迅速に国民に伝え、その結果が民主主義体制と、全体主義体制の両方を可能にした。そして現代の情報は「デジタルデータ」だ。

粘土版も聖書も新聞もラジオも、それぞれの時代の最新の情報テクノロジーを使うことで、情報の流れ方に革命を起こし、「情報ネットワーク」を作り上げた。「情報ネットワーク」によって、市民間につながりを生じさせ、統一的な理念や価値観の共有をさせることができる。そのことで強力な国家や宗教を生み出してきた。

そのため、情報ネットワークは「真実」を伝えるよりも、国家や宗教の「秩序」を国民に守らせることを優先してきた。現在のデジタル情報によるネットワークを利用して、ポピュリズムやナショナリズムを煽ることが、政治の権力闘争のための武器になってきた。


以上の簡単な文章では紹介しきれないので、関心のある人には本を読むことをおすすめ。


2026年2月11日水曜日

風景画の中の人物

 Eye Lebel

ネットに面白い図がのっていた。遠近法の説明のためだが、「アイレベル」(Eye Lebel)を赤線にして強調している。しかし人物たちの頭のてっぺんが赤線の下をかすっている。これでは赤線が「アイレベル」ではなく、「ヘッドレベル」になってしまっている。

この理由は2つ考えられる。ひとつは描いている人が「アイレベル」の意味を勘違いしているため。もうひとつは描いている人はちょっと(10cmくらい)高い段差の上から描いているか、のどちらかだろう。




遠近法で、もっとも重要な「アイレベル」(Eye Lebel)を強く意識した絵画はたくさんあるが、フランス印象派の画家ジャン=フランソワ・ラファエリの「サン=ミシェル大通り」はそのひとつ。


同じ画家のこの絵では、建物の2階から描いているからアイレベルが高い。したがって当然ながら、人物たちの頭は横一線に並んでいない。


2026年2月10日火曜日

雪の朝 スケッチ

 Snow view

一昨日の久々の雪。窓からの眺めをスケッチ。(パステル、10 号)



2026年2月9日月曜日

ミラノ・オリンピック 開会式

 Milan Olympic

ミラノ・オリンピック開会式の五輪旗入場に、中学校の同級生が登場してびっくり!(手を振っている人)



2026年2月8日日曜日

オリンピックの入場行進

 

ミラノの冬季オリンピックの開会式を見ていたが、選手の入場行進は、どの国も選手たちがてんでんバラバラに笑いながら手を振っている。しかしこのスタイルになったのはわりと最近のことで、思い出すと、1964 年の東京オリンピックでは、日本も含めどの国も整然と列を作って行進していた。笑ったり手を振ったりしていない。軍隊の分列行進と同じだ。

この軍隊式行進を始めたのは 1036 年ベルリン・オリンピックからだ。ベルリン大会の記録映画「民族の祭典」で、各国の行進の様子を見ることができる。それは第二次世界大戦の直前という時代の国際情勢を反映していて、面白い。


ベルリン大会はヒトラーのプロパガンダ大会と呼ばれ、特に開会式の演出はナチスドイツの国威発揚の場して最大限に利用された。そしてこの記録映画自体も、ヒトラーお気に入りの女性監督リナ・リーフェンシュタールによるプロパガンダ映画だった。ドイツ選手団が入場してくると、VIP 席のヒトラーは「ハイル」の手を上げる。すると観客全員が立ち上がって「ハイル・ヒトラー」の声が嵐のように鳴り響く。


ドイツの男子選手団は、軍帽から長靴まで、まるまるナチの軍服を着ている。ヒトラーに向かって「ハイル・ヒトラー」の敬礼をしている。女子選手団も整然と行進しながら全員「ハイル・ヒトラー」をしている。

ドイツの同盟国の日本選手は軍隊の戦闘帽をかぶって、ヒトラーに敬礼している。

ドイツの敵対国イギリスは、イギリス海軍の軍服を着ていて、普通の敬礼をしている。フランスはベレー帽のカジュアルなユニフォームだが、敵対国なのに「ハイル・ヒトラー」をしている。それで観衆は大喜びする。しかしこの手の挙げ方は、挙げ方の角度が違い「ハイル・ヒトラー」ではなく、IOC の敬礼の仕方だったという面白いエピソードがある。



今の時代、世界中どんなスポーツ大会でもこのような国威発揚的で軍隊的入場行進はない。日本の高校野球以外は。


2026年2月7日土曜日

投票マッチングアプリ

 

今度の選挙を機に「投票マッチングアプリ」が出てきたというので、自分も試してみた。10 数項目の政策ごとに賛成か反対かを問うてくる。それに答えると投票すべき政党を推薦してくる。

これは政治に無関心な人たちの投票率を上げるためだという。しかし考えてみると、これは恐ろしいアプリだ。質問項目の設定の仕方によって、あるいは推薦アルゴリズムの設計の仕方によって、特定の政党へ誘導することができてしまう。

こんなアプリに頼らなければ自分の投票行動を決められない人にまで無理やり投票に行かせて、投票率を上げることに何の意味があるのか。


2026年2月6日金曜日

映画「アバター:ファイアー・アンド・アッシュ」

「Avatar : Fire and Ash」  

物語の基本は第1作以来、変わっていない。地球の資源を使い尽くした人類が、パンドラという惑星へ進出して、巨大な基地を作り、鉱物資源を略奪しようとしている。しかしその星にはナヴィ族という先住民がいて、彼らは豊かな自然と一体化して生きている。そして人間とナヴィ族との闘いになる・・・

この闘いで、人類側には最新のハイテク兵器があるが、ナヴィ側の兵器は原始的な弓矢だけだ。しかしナヴィ側には巨大な怪鳥の戦闘機があり、巨大な鯨の潜水艦がある。自然の一部として生きているナヴィ族にとっては、鳥も鯨も同じ仲間なのだ。ハイテクと暴力によってナヴィを壊滅しようとする人類との対立が映画の基本になっている。

人類は火の発明から始まり、さまざまな技術を身に着けて来たが、その結果が自然を破壊し、戦争をもたらしてきた歴史がある。技術の発達によって、最後には人間は滅びるという終末論思想がこの映画の根底にある。


この映画についてさまざまな論評がされているが、その中で、アデル・ラインハルツというカナダ人の聖書学者の「ハリウッド映画と聖書」が参考になる。そこでは「アバター」には聖書的要素が無数にみられると言っている。

例えば映画で、人間の攻撃で窮地に立たされたナヴィ族が救済を求めて母なる女神エイワに祈る点や、最後に人間に勝ってエイワのいる聖なる大木に感謝を捧げる点など、破壊と再生という聖書の枠組みそのままの映画であるとしている。またナヴィ族が挨拶する時、「あなたが見える」( I See You )と言う場面が何度か出てくるが、これは「あなたの本来のあり方ゆえに私はあなたを見る」という聖書のイエスの言葉が元になっているという。


もうひとつは、岡田温司の「映画と黙示録」で、やや批判的にこの映画を評している。先住民のナヴィ族たちを、明らかにアメリカの先住民であるインディアンのイメージで描いている点だ。そして人類側の侵略を阻止する救世主となるのが、人類側の人間であるジェイクの「アバター」だ。パンドラ星を救うのは先住民自身ではなく、白人の人間だという筋書きが結局は、白人がアメリカインディアンを征服したという植民地主義を背景にした白人中心的な物語に過ぎないと言っている。

なおエンドロールで  ”KABUKI" という表示が出てくるが、ナヴィ族のメイクが歌舞伎の「隈取り」のイメージをもとにしているらしい。アメリカ・インディアンではなく・・・

2026年2月5日木曜日

映画「アバター」第3作の CG 技術

「Avatar」

映画「アバター」の第3作「アバター:ファイア・アンド・アッシュ」を観た。第1作(2009 年)からもう19 年も経って、映像技術の進化が著しい。全編が CG で、映像のスケール感がすごい。

第1作で、実写映像をリアルタイムで 3D CG に変換してしまう技術が画期的だった。この技術は当時、日本ではまだ企業や大学での研究段階だった。それを実際に使って映画を使ってしまったのが驚きだった。(写真はメイキング映像より)

俳優の演技の実写映像をもとに CG 化する。人間の動きをとらえる「モーション・キャプチャー」の技術で、俳優は手や脚に反射マーカーの線の入ったスーツを着て演技する。その動きをカメラで捉える。昔のモーションキャプチャーは関節部分に LED を着けていたが、こちらの方が滑らかに動きを捉えられそうだ。

第2作からはさらに、俳優の顔の表情まで捉える「フェイシャル・キャプチャー」が加わっている。顔に黒い点のマーカーを着けている。微妙な表情を捉えられる。

これらの CG 化した俳優の動きを背景のCG と融合する。だから撮影はロケもセットもいらない。広い倉庫のような場所で俳優が演技している。そのメイキング映像はこちらで→ https://www.youtube.com/watch?v=IfLNFNLoy5o 


2026年2月4日水曜日

ピューリツア賞受賞の有名写真

 Pulitzer Prize

前々回、ピューリツァ賞受賞の写真「硫黄島の星条旗」が実はやらせだったということを書いたが、歴代ピューリツア受賞作品のなかで有名なものを挙げてみる。


ピューリツア賞の受賞作のなかで、もっとも有名な写真の一つは、「ナパーム弾の少女」だろう。ベトナム戦争で、アメリカ軍がナパーム弾で村々を焼き尽くしていたが、恐怖に怯えて逃げ惑う子供たちを撮っている。アメリカの通信社の専属カメラマンだったニック・ウトというベトナム人カメラマンが撮った。とくに中央にいる裸の少女が衝撃的で、アメリカ国内でのベトナム戦争反対の世論を加速させる役割を果たした。

日本人カメラマンも3人がピューリツァ賞の受賞をしている。その一人の沢田教一という人のベトナム戦争の写真で、「安全への逃避」という写真が世界的に有名になった。アメリカ軍の爆撃を逃れて、若い母親が4人の子供を連れて、川を渡っている。「写真」というメディアの訴求力の強さがわかる。



もう一人の日本人受賞者は酒井淑夫という戦場カメラマンで、同じくベトナム戦争を取材した「静かな雨、静かな時」という写真が有名。アメリカ兵がドシャ降りの雨のなかでひとときの休息を取っている。戦争の過酷さを捉えている。



日本人のピューリツァ賞受賞者のもう一人は長尾靖という毎日新聞社のカメラマンで、社会党党首の浅沼稲次郎が刺殺される決定的瞬間を撮った。演説している浅沼稲次郎を、学生服を着た17 才の右翼少年がナイフで刺そうとする一瞬だ。これは1960 年の事件だったが、当時テレビや新聞で連日報道され、今でもこの写真は鮮明に覚えている。

最近の受賞作品をあげると、飢餓に苦しむアフリカのスーダンで撮られた写真。痩せ細った子供が倒れていて、ハゲタカが死ぬのをじっと待っている。

もうひとつの例は、アメリカのボストンで撮られた一枚。学生のデモ隊が、関係のない通りがかりの黒人に暴行を加えている。手にしているのが星条旗であることが、人種差別のなくならないアメリカ社会の現実を見事に捉えている。


2026年2月3日火曜日

報道写真「焼き場に立つ少年」

 

米軍の従軍カメラマンが終戦直後の日本へ来て、原爆被爆の広島で撮ったこの写真「焼き場に立つ少年」は、近年有名になったので、多くの人が見て知っていると思う。10 歳くらいの少年が、すでに死んでいる弟を背負っている。被爆して死んだ大量の死体を次々と焼き場で焼いているが、少年はその順番を待っている。

撮影したカメラマンは、衝撃的なこの写真を封印してきたが、70 年くらいの時を経て発表した。すると核兵器の悲惨さを伝える写真として世界中に知られるようになり、日本人もこの写真を初めて知ることになった。

なおこのカメラマンは、写真の少年はまだ生きているかもしれないと思い、来日して調べたことも話題になった。

戦争ドキュメンタリー映画「WW II 最前線. ヒロシマ」(NETFLIX) に出てくるが、終戦と同時にアメリカは広島と長崎に医師団を派遣した。医療が目的ではなく、原爆が人間に与える「効果」を測定するためだ。その結果、原爆のあまりにも悲惨な結果を知って、アメリカは原爆に関する情報を徹底的に隠蔽した。日本側の記録映像なども押収され廃棄された。また進駐軍は被爆者の口封じもした。そして原爆の非人道性など無かったことにした。おそらく「焼き場に立つ少年」の写真も、アメリカ政府によって長いこと発表を禁じられていたのだろう。


2026年2月2日月曜日

硫黄島の星条旗

Raising the Flag on Iwojima

最近トランプ大統領が、グリーンランドをアメリカ領にすると言い出した時のフェイク画像がニュースになった。トランプが星条旗を掲げてグリーンランドに上陸するシーンで、そばには「グリーンランド、アメリカ領、2026 」という看板が見える。

この画像は、太平洋戦争中に、硫黄島を日本から奪還した時の有名な写真をパロディー化したものだ。

従軍カメラマンのローゼンタールという人が撮った「硫黄島の星条旗」という写真だ。激戦の末に日本軍を制し、硫黄島の摺鉢山のてっぺんに6人の兵士が星条旗を掲げるドラマチックな場面だ。戦争記録写真の最高傑作とされ、ピューリッツァー賞を受賞した。

この兵士たちは帰国して、英雄扱いされる。そしてルーズベルト大統領は、彼らを戦時国債の販売キャンペーンに利用したりする。

ところがこの写真は「やらせ」であることが後に発覚する。すでに他の兵士が一番乗りしたのを他のカメラマンが撮っていた。ローゼンタールはもっとドラマチックに撮るために、兵士にポーズを取らせて、やり直しを撮ったのだ。戦後になって兵士は、やらせを演じただけなのに英雄にされたことで精神的に苦しむことになる。

この顛末を描いた映画「父親たちの星条旗」(2006 年、クリント・イーストウッド監督)が日本でも公開され、大ヒットしたので、見た人も多いと思う。

CG などない時代に、「やらせ」で作ったフェイク画像をネタにして、トランプ大統領は、最新の生成AI 技術を使ってフェイク画像を作った。


2026年2月1日日曜日

フェイク情報

 

選挙が始まって、ネット上のフェイク情報がますます増えてきた。発信元が外国勢力かららしきものも多い。最近「認知戦」という言葉がよく使われるようになったが、SNS を利用して世論操作をする。

最近アメリカ政府は、中国製アプリの TikTok の使用を禁止したが、中国の「認知戦」による影響を防ぐためだ。逆に中国では、グーグルやフェイスブックは使えない。かつて東西冷戦の頃は「鉄のカーテン」だったが、今は「シリコンのカーテン」になっている。

歴史学者のユバル・ノア・ハラリは、このようなデジタルデータを使って世界へ自国の影響力を広げようとするのを「データ植民地主義」と呼んでいる。そして SNS を利用して覇権をねらう国を「デジタル帝国」と呼んでいる。実際、昨今の世界情勢を見ているとそのとうりのことが起こっている。


2026年1月31日土曜日

映画「ジョーンはひどい人」

 「Joan is Awful」

「ジョーンはひどい人」という映画は、前回書いた「ブラック・ミラー」シリーズの第6話で、これも IT 技術の発達で犠牲になる人間をパロディー化したブラック・ユーモアだ。

主人公のジョーンは IT 企業で働く中間管理職の優秀なキャリアウーマンだ。ある日、役員の命令で部下をリストラする。その夜、プライベートで元彼と会って食事をする。ところが家に帰って何気なくNETFLIX を見ると、「ジョーンはひどい人」という映画をやっている。その映画の主人公はジョーン本人にそっくりで、自分がやった今日一日の行動を悪い印象を与えるように作っている。 CG 映像で作ったフェイク動画だが、自分の一日をリアルタイムでその日のうちに作って、しかもネット配信されているのを見てびっくりする。そして翌日会社へ行くと、全員がこの映画を見ていて、「ジョーンはひどい人」と白い目で見られる・・・

最新の生成AI と高速の量子コンピュータを使って作った動画だが、誰が作ったのかわからない。ジョーンは怒り狂るって頭がおかしくなってしまう。やがて CG のジョーンがリアルのジョーンに会いに来たりして・・・バーチャルとリアルが入り混じったりしてパロディとして面白い。現在でもすでにフェイク動画がネット上に溢れていて、SF 的未来の話とは思えない。

 

2026年1月30日金曜日

映画「ブラック・ミラー」

 「Black Mirror」

「ブラック・ミラー」という映画が面白い。NETFLIXで配信している7回連続のドラマシリーズ。ネット時代の今の社会を風刺しているパロディー映画だ。第1話はこんな感じ。

脳の病気を患った女性が、脳をすべて切除して、新しい脳に入れ替える移植手術を受ける。その新しい脳はネットと繋がっていて、本人はそこから入ってくる情報に基づいて行動するようになる。自分で考えることはない。彼女は小学校の教師をしているが、ネットで得た情報を教室でそのまましゃべるから、おかしなことにり、クビになってしまう。つまり彼女は頭にスマホを埋め込まれた「スマホ人間」になっていたのだ。

それで、人工脳を運営する会社に相談すると、あなたの契約しているプランは基本プランだからで、もっと多機能のプランに変更するとよくなりますよ、と言われる。月額料金が5万円に増えるのだが、泣く泣く契約する。すると、企業のコマーシャルが入ってくるようになり、本人はその受け取ったコマーシャルをそのままオウム返しにしゃべるようになってしまう・・・

この第1話のタイトル「普通の人々」だが、まさにスマホから入ってくるネットの情報をそのまま間に受けて、ネットに支配されている現代の普通の人々を痛烈に皮肉っている。


2026年1月29日木曜日

映画「サタンタンゴ」の映像(続き)

「Satan Tango」 

前回投稿(↓)の続き(https://www.blogger.com/blog/post/edit/5842824525266145803/6738002736211797760

貧しい村にやって来た若者は救世主の顔をして村人に演説する。村を捨てて、新しい土地へ移住して楽園のような村を作ると言う。そのための資金だとして金を寄付をさせる。それを信じて村人たちは偽救世主について行くが、着いた先は荒れ果てた廃墟の家だった。人々は騙されたのではと疑念を持ち始める。そのシーンで村人の顔をクローズアップで撮る。顔の周囲をカメラが2分もかけて 360° ゆっくりと回る。この長回しによって、怒りや悲しみではない、夢などなかったのだという諦めの気持ちが伝わってくる。秀逸なカメラワークだ。


村人が町に到着すると、何頭もの馬が無人の広場に登場して、モニュメントの周りをぐるぐる回る。唐突で非現実的なシーンだ。後ろに見えるのは市庁舎らしき建物で、人間の代わりに馬しかいないことで、政治権力の空虚さを暗示しているようだ。そのことは、この後のシーンで、役人の官僚主義的な仕事ぶりを皮肉るシーンが出てくることから分かる。


ラストで、村人が全員村を出ていき、誰もいなくなる。一人だけ残った飲んだくれの老医師は毎日窓から村人たちを観察していたのだが、その意味がなくなり、窓に板を打ちつけていく。最後の一枚を打ち付けると、画面は暗闇になり映画は終わる。世界から自らを閉ざしてしまった老医師が最後にどうなるかは示されていない。暗闇の中で彼の独り言だけが聞こえてくるが、それは神の不在を意味する言葉だ。希望も救いもないエンディングだ。


この映画を見終わってみると、7時間という長尺がまったく冗長ではない。映像の ”密度” が濃く、目を釘付けにされ続ける。