Convex mirror
昔、画家たちは「クロード・グラス」という小さな凸面鏡を持ち歩いた。描く場所へ来るとクルリと背を向けて、この鏡を見ながら描いた。凸面鏡は細かいところまでは映らないので、細部にとらわれずに、大づかみな雰囲気を描くことができた。「クロード」という名前は風景画の大家クロード・ロランから来ていて、クロードのように描けるという意味だった。そもそも 1 7 世紀くらいまでは平面鏡はなく、もっぱら凸面鏡が使われていたという。(大きくて平面度のあるガラスが作れなかったから?)1 5 世紀のヤン・ファン・エイクの有名な「アルノルフィニ夫妻の肖像」で、壁に掛かっている鏡は凸面鏡だ。凸面鏡だから、小さくても室内全体が映っている。
おとぎ話しに出てくる鏡も凸面鏡で、「白雪姫」の魔女が「鏡よ鏡、世界で一番・・」というのも凸面鏡だし、「鏡の国のアリス」の悪の女王もそうだ。そもそも西洋の占い師は水晶球という凸面鏡に映った像で未来を占う。凸面鏡の像は、現実と違う歪んだ像なので、魔女たちが ”異界” を呼び出すのにぴったりな道具なのだろう。
1 7 世紀のオランダのピーテル・クラースという人の「バイオリンとガラス球」は「ヴァニタス」の絵で、「人生の虚しさ」を表す寓意画だ。人は必ず死ぬことを自覚しながら生きよとして、享楽的な生活を戒めている。死を意味するドクロの他に、 ”滅び” を象徴するモチーフが描かれている。弦の切れたバイオリン・破れた楽譜・ひっくり返ったワイングラス・壊れた懐中時計などの ”虚しい” ものを並べている。さらに左側にガラス球が描かれていて、それが凸面鏡の役割をして、室内の様子を反射している。よく見るとイーゼルにキャンバスを立てて描いている画家自身の姿があり、手前にはモチーフの品が球面反射した歪んだ形で映っている。歪んだ形は死後の世界の象徴だが、中央にいる画家は歪んでおらず、現実の姿通りに映っている。この凸面鏡は、今生きている世界と死後という”異界”をつなぐ役割をしている。
映画にも、 ”異界” や ”死”と結びつきやすい凸面鏡の性質を利用した例がある。ヒッチコックの「見知らぬ乗客」で、狂気じみた男が女性の首を絞めて殺すシーンで、地面に落ちた女性のメガネを画面いっぱいにクローズアップする。メガネが凸面鏡の役割をして、そこに首を絞めている男が映る。人間はいっさい撮らず、メガネに映った歪んだ像だけで人間の ”歪み” を暗示しているのがヒッチコックらしいうまさだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿