進化した A I が、どれだけ人間に近ずけるか、というホットな関心事が、映画でも取り上げられている。女性 A I が登場する映画で、彼女たちは人間を好きになるだけの「心」を持つのか、ラストシーンで結果がわかる。
「ブレード・ランナー」 人間と見分けがつかないロボットを捕まえて破壊する役目の捜査官が主人公だが、美人 A I ロボットと心を通じ合う。ラストは、主人公が彼女と二人で、車でドライブして走り去るシーンで終わる。
「トロン・レガシー」 人間に敵対的なA I ロボットたちのヴァーチャル世界に迷い込んだプログラマーが、好きになった美人 A I を連れて現実世界に戻ってくる。ラストで、主人公がバイクに彼女を乗せて走り去る。
両方とも二人でドライブという同じラストになっている。プログラムされただけの A I にも、人間的な「心」が生まれてくる(実際に将来そうなるかどうか知らないが)という物語で、ラストシーンがその象徴になっている。
こちらの2作は、 人間的な「感情」を持つまでに進化したA I が、人間と心を通じ合えるようになるが、それはあくまで心のある「人間のふり」をしているだけ、ということに最後に気づかされる。 A I に対する悲観的な見方で、こちらの方が現実的かもしれない。
なお、歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリは、もっと辛辣なことを言っている。人間自身だって所詮は「ふり」をしているだけで、その「ふり」という「見かけ」を他人が気に入れば、友達や恋人になるのだから、 A I も人間も同じだと言っている。この見解には最新の生命科学の根拠があって、「好き・嫌い」とか「喜び・悲しみ」といった「人間的な感情」は、脳の中の生化学的アルゴリズムによって決定されているにすぎないということが分かってきたからだという。
0 件のコメント:
コメントを投稿