2018年9月23日日曜日

斎藤共永 パステル画 個展

Tomonaga Saito Pastel Painting Solo Exhibition on Blog

前回個展をやってから5年経つが、歳のせいで次をやるエネルギーが湧いてこない。それでブログ上でミニ個展をやることに。ここ3年間の展覧会出品作から 10 点を選んだ。


「廃炉幻想」( 2015 年、40 号、現代パステル協会展)
この世の終わりの原発。アメリカのパステル画サイトが「黙示録」と紹介してくれた。

「崩れゆく神殿」( 2016 年、40 号、現代パステル協会展、準会員賞)
虚ろに見える巨大工場。苦節(?)11 年、やっと正会員になれた作品。

「工場幻想」( 2016 年、30 号、彩象美術協会展、朝日新聞社賞)
夕暮れどきの工場が亡霊のように佇んでいた。

「静物」( 2015 年、15 号、凡展)
いろいろ試すと気づく「そうだったのかパステル画」。

「朝のテーブル」(2017 年、15 号、彩象美術協会展、神奈川県教育委員会教育長賞)
気に入ったモチーフで手を変え品を変え。

「海辺の廃屋」( 2018 年、30 号、彩象美術協会展、横浜市長賞)
北海道の海辺で見かけた廃屋。

「荒れ地」(2017 年、30 号、凡展)
原野に取り残された牧舎の廃屋。

「Morning River」(2017 年、15 号、国際パステル画家招待展)
台湾パステル画協会から招待いただいた。

「繁栄の遺跡」( 2018 年、40 号、現代パステル協会展)
製鉄工場が天空の城のように浮かんでいる。

「Machine 1918」( 2018 年、30 号、凡展)
機械が美しかった時代の文化遺産。

2018年9月21日金曜日

映画「ジェイン・ジェイコブズ    ニューヨーク都市計画革命」

"Citizen Jane Jacobs for the City"

古い街の「地上げ」をして住民を立ち退かせて、”快適な街作りのために” 高層住宅を建てる。デベロッパーと行政が結託して都市再開発プロジェクトが行われていく。

これに猛然と反対運動を起こしたのがジェイン・ジェイコブズという主婦だった。古い街は汚く人混みで溢れていて、路上で子供たちが遊んでいたり、屋台のおじさんが商売をしていたり、雑然としているが、そこはいろいろな人が集まってくる楽しい場所で、住民の共同のコミュニティがある。それを高層ビルが壊してしまう。

最後にジェインは勝つ。今ではその頃建てられた高層住宅が住む人のいないゴーストタウン化してどんどん爆破されていて、彼女の主張の正しさが証明されている。これはニューヨークの話だが、日本でも同じことが行われたのは記憶に新しい。そして今は新興国でも同じことが進んでいる。

新築なのに入居者がいないゴーストタウンの中国の高層住宅や、スラム街をなくすためにメキシコ政府が低所得者用に作った "整然"とした住宅 。どちらも人間の住む所とは思えない恐ろしい光景だ。

そもそもこういう都市再開発のコンセプトを初めて考えたのは ル・コルビュジェで、「マシンシティ」などの都市計画を提案した。幹線道路を中心に高層住宅を作り、住職分離をした都市で、都市を機能的な「機械」にするという考え方だった。”街”や”住民”が不在のこの思想が都市の新しい理想像とされるようになっていった。映画でもニューヨークがコルビュジェの考えを応用したことが語られている。

2018年9月19日水曜日

どこから見る? 映画と絵画

Viewing distance and Viewing angle,   movie and picture

最近は映画館で前の方5列目くらいの席で見ることが多い。かつては後ろの方が普通で、前の方に座るのは満員で仕方のないときくらいだった。映画に入り込んで自分も映像世界の一部になるような感覚を楽しむといった映画が多くなったせいだろう。臨場感重視の映像や、音に囲まれるサラウンドの音響などと、それを助長する大画面ワイドスクリーンのおかげだと思う。

5列目に座っておおざっぱに測ったら、スクリーンの視野角度は 90 度くらいだった。人間の視野角はかなり広いが、色まではっきり見えるのは 70 度くらいと言われている。 だから5列目でみると画面は視界いっぱいか、そこからはみ出るくらいに大きい。映画に没入しやすくなるわけだ。

かつては映画もテレビも 4 : 3 で、アスペクト比は 1.33 だった。それが 16 : 9 のデジタルTVで 1.78 になった。映画はさらに横長で、シネマスコープは 2.35 もある。

絵画のサイズは、F(人物) P(風景) M(海景)の3種類あるが、アスペクト比は、F は 1.16、P は 1.30(アナログ TVくらい)、 M は1.59(デジタル TVくらい)。映画のワイドスクリーン並みの横長サイズは標準サイズとしてはない。

100 号の絵(幅約 1.6 m)を見るとき、映画を5列目で見るのと同じ視野角で見るにはどのくらいの距離になるか計算してみると 1 mくらいになる。写真の一番前の人くらいの近さで、いかに映画は大画面を近くで見ているかがわかる。

絵とは額縁に入れて壁に掛けて見る(観賞する)ものというのが当たり前だが、こうなったのは最近のこと。絵画の長い歴史では、壁画、祭壇画、天井画などのように、人間のほうが絵に囲まれながら見る大画面ワイドスクリーンが普通だった。それは、絵とは「作品」として「鑑賞」するものではなく、宗教や神話の世界へ入り込んでいくための手段だったから。現代の映画と同じように。

2018年9月17日月曜日

パステル画 昔の機械


横浜の昔の造船所跡に文化遺産として保存されている 100 年前の機械。機械が美しかった時代への敬意を込めて盛大に錆びさせてもらった。 (「凡展」出品、東京交通会館、9 / 23 ~ 9 / 29 )



" Machine 1918 "  Soft pastel, Primed with modeling paste on board,  100cm × 70cm 

2018年9月15日土曜日

鎌倉建物散歩 教会と幼稚園 

日本基督教団鎌倉教会は大正 15 年(1926 年)築というかなり歴史のある建物。ゴシック調の美しい建物だ。設計は吉武長一というアメリカの工科大学で学んだ建築家で、当時のアメリカの教会建築の影響を受けているという。


その隣にあるハリス記念鎌倉幼稚園は、教会の付属幼稚園で、大正 10 年(1921 年)築というからこれも歴史が長い。形がユニークで、八角形プランの部分が遊戯室で、その周囲に教室を配した形は「梅鉢型園舎」と呼ばれるそうだ。当時流行の教育思想のもとに作られた幼稚園の形だという。


2018年9月13日木曜日

鎌倉建物散歩 若宮大路の商店

鎌倉のメインストリート若宮大路に面した三河屋という酒屋さん。昭和2年(1927 年)築で、時代劇にもでてきそうな重厚な伝統的商店建築。国の有形文化財になっている。


三河屋と一軒おいて隣の湯浅商店という物産店で、やはり同じ頃の昭和 11 年(1936 年)築。アーチ窓はペンキで描いた「もどき」洋風で、典型的な看板建築だ。三河屋とまったく対照的なスタイルなのに、同じ金子卯之助という大工が手がけたというから面白い。


2018年9月11日火曜日

縄文ポシェット、縄文マスカレード

JOMON    10000 Years of Prehistoric Art in Japan

縄文展のインパクトが強くて、まだ図録を眺めている。縄文は土器や土偶だけでない。生活用品や装飾品など様々なものが出展されていた。(東京国立博物館、9 / 2 終了)

樹皮製の編みかご。 15 cm くらいの小ささで、中にくるみが一個入ったまま出土されたそうだ。そんなことからもかわいい感じがするので、キャプションに「縄文ポシェット」と名付けられていた。よく腐らないまま出てきたものだ。それにしてもどんな人が作ったのだろう。職業分化はまだなかったはずだが、それとも専門の職人がいたのだろうか。



どんな目的の仮面なのか。掛けひも用の穴がある(目の横)ので実際に顔につけて使っていたはずだ。絶妙にデフォルメされたこの顔の表情の解釈について、陶酔、苦悶、滑稽などの説があるという。マスカレードも能面も面の表情自体はニュートラルで、しぐさによって見えかたが変化するが、それと同じなのかもしれない。勝手に「縄文マスカレード」と名付けた。


2018年9月9日日曜日

鎌倉建物散歩 古我邸


鎌倉駅から徒歩5分の所にこんもりとした森に囲まれた洋館がある。100 年前の大正5年築で、三菱財閥系の実業家の荘清次郎という人の別荘だったそうだ。今では「古我邸」というレストランになっている。この建物の様式は、19 世紀アメリカでよく使われた「シングル・スタイル」というそうで、外壁全体にこけら板が貼られた装飾性のない簡素なスタイルだ。設計者は東大とロンドン大学で学んだ櫻井小太郎という建築家だという。



2018年9月7日金曜日

イサム・ノグチの母レオニー

Leonie

イサム・ノグチ展(東京オペラシティ  アートギャラリー)を見たのを機に映画「レオニー」をDVD で観た。イサム・ノグチを芸術家に育てた母レオニーの半生を描いている。( 2010 年、日米合作映画)

詩人の野口米次郎との間に息子イサムが生まれる。日本に渡ったものの、夫には本妻がいるうえに、閉鎖的な日本社会で自分の居場所がない。運命に翻弄されるレオニーだが、イサムを芸術家にするという信念は揺るがない。家を新築する時、まだ少年のイサムに家の設計をさせたり、大工にカンナの掛け方を習わせたりする。青年になると名門医学校に合格するのだが、無理やりやめさせて美術学校に通わせる。

アメリカでも日本でもよそ者扱いされて、居場所を探し求めた母レオニーの精神を受け継いで、イサムはどこにも属さない国際人芸術家になっていく。ラストシーンで札幌のモエレ沼公園にあるイサムの作品の下でレオニーが座って遠くを眺めている。そこにイサムのナレーションが重なる。「私は母の想像力の落とし子なのですね」 もちろん実際はこの公園ができるよりはるか昔にレオニーはこの世を去っているのだが。


2018年9月5日水曜日

縄文のピアス



縄文展にあった女性のピアス。直径が5cmくらいもある大きいもので、軽くするために透し彫りしている。花びらのような模様がアール・ヌーボーもびっくり(?)のエレガントさ。土製だが磨きを施し、樹脂を混ぜた赤色顔料を塗って仕上げたものという。


2018年9月3日月曜日

イームズ、ヤコブセン、コルビュジェ、 などの名作家具が登場する映画

Famous furniture in movies

有名デザイナーの作品が映画に登場することがあるので、それらを集めてみた。ほとんどが椅子だが、なぜその場面で使われているかには意味があることが多い。またモノとしては知っている有名な椅子も映画で見ると、使われ方の文脈が分かり、そのデザインの使用価値が見えてくる。


デ・スティルの巨匠リートフェルトの歴史的名作「赤と青の椅子」が「アドルフの画集」に一瞬だけ出てきて目を引いた。画家志望のヒトラーを援助するユダヤ人画商の自宅のシーン。現代絵画専門の画商らしく室内はモダンデザインで統一されている。

「ル・コルビュジェとアイリーン」はインテリデザイナーのアイリーン・グレイとコルビュジェとの人間模様を描いた映画。自身が設計した海辺の別荘のシーンに彼女の家具が次々に登場する。どれも 90 年前とは思えない先進的なデザインだ。

イームズの最高傑作「ラウンジ・チェア」は、日本でも100 万円くらいする高級家具。「喝采の陰で」で、劇作家の家へ押しかけ同居しにくるハリウッド女優が唯一の引越し荷物で持ってくるのがこの椅子。座りごこちが良すぎて身体の一部のようになっている。

MOMA の永久展示品になっているコルビュジェのソファが「赤ちゃんはトップレディがお好き」に登場する。バリバリのキャリアウーマンの高級マンションにオフィスで使われることが多い硬い感じのこの椅子をセットで置いている。仕事人間の主人公のアイコンだ。

北欧家具といえばデンマークのヤコブセンだが、代表作の「エッグチェア」が「幸せはパリで」で効果的に使われている。現代絵画のコレクションが趣味の会社社長の自宅に置かれたこの椅子が彼の自己顕示欲の象徴になっている。


この「幸せはパリで」の社長夫人(カトリーヌ・ドヌーヴ)は金にあかした生活に飽きていて、不倫して駆け落ちをするのだが、相手の男も妻のインテリア改装趣味に嫌気がさしている。性格の不一致や価値観の違いが離婚の理由というが、それが具体的な形で現れるのがインテリアの趣味の不一致ということだ。また「ローズ家の戦争」という映画の場合は、夫婦二人が協力して家のインテリアを作り上げてきたのだが、離婚することになると家の奪い合いになる。お互いに我が子のように育てたインテリアだから、売ってお金を2分するという単純な話にはならない。家具が持ち主の人格の一部のような存在になる文化が根底にあるからで、ニトリ的応接セット文化からはうかがい知れないないものがある。

2018年9月1日土曜日

縄文展 一万年の美の鼓動

JOMON    10000 years of prehistoric art in Japan

予想していたより何倍もすごかった。一万年前の人たちがすぐそばにいるかのようなリアル感が伝わってくる。(東京国立博物館、~ 9 / 2 )

この気狂いじみた発想はどこから生まれるのか、縄文人の頭の中を覗いて見たくなる。

縄文人が感じる美は今と変わらないように見えるから、美的感覚というものは教わるのではなく、人間に先天的に備わったものなのだろう。

今回の中でこれが最高だと思う。抽象化した人間らしい装飾がされた容器。造形が現代的で、とくに手の部分が3次元から2次元へつながっていくところなど相当高度だ。

抽象ばかりの中で唯一写実的なブタの顔があった。写実もできるぞと言っている(?)。