2015年2月28日土曜日

ル • コルビュジェと自動車デザイン


前回の投稿で、シトロエン2CVが登場した映画について書きましたが、そこで、この車が建築家のコルビュジェのデザインだという説があることに触れました。その後、これについて調べていると、「ル • コルビュジェの愛したクルマ」といういい本がみつかったので、これを受け売りしながら、コルビュジェと車の関係について書きます。

コルビュジェの愛車は「ヴォアザン」でした。ヴォアザンを作ったのはガブリエル • ヴォアザンという人ですが、彼も建築出身で、まだ馬車の延長的存在だった自動車を、実用的な乗り物へと発展させた人でした。「ヴォアザン」は高品質で高性能でありながら、装飾がなく簡素で、形態や構造が合理的であり、建築的な設計思想を導入した初めての自動車でした。コルビュジェ自身が追求していた機能主義建築の考え方と一致していたため、この車を高く評価したのです。
コルビュジェの愛用したヴォアザン(Voisin)1929年

1920年代後半に、コルビュジェは「パリ • ヴォアザン計画」というパリの都市改造計画を提案します。古い街を壊して超高層ビルを建設し、広い幹線道路を通して交通の流れを確保する。そしてパリを自動車の街にしようとするものでした。このプロジェクト名はヴォアザンがスポンサーだったことから来ているのですが、ヴォアザンの合理主義精神を引き継ごうとしたことでもあったのでしょう。
「パリ • ヴォアザン計画」のコルビュジェのスケッチ

そして建築だけでなく、この都市に必要で最適な自動車のデザインも手がけます。都市交通を合理化するために、車の大きさを二分の一にして、道路や駐車場の利用効率を上げようという発想でした。ただし、ただ小さくするのではなく、最小限の大きさと最大限の機能の調和によって、その内部空間と車体の大きさが決定されたのです。そのため「マキシマムカー」と命名されました。空間処理が巧みで、前列は3人掛けで、後ろに横向きのシートも設置できる空間があり、荷室でもあります。小さいながら十分な室内空間、軽量で剛性の高いモノコック構造の車体、リヤエンジン、平面を多用した合理的形態、など時代に先駆けた先進的なデザインでした。
「マキシマムカー」のコルビュジェのスケッチと、後に再現された模型

コルビュジェはこのデザインをシトロエンを含む各自動車メーカーに売り込んだのですが、実際の車として実現しませんでした。だからシトロエン2CVがコルビュジェのデザインだとは言えないようです。ただ、後にシトロエンが2CVを企画したとき、設計者に課した命題は、「車を運転したことのない農民でも使いやすく便利で簡潔な車」だったので、それはコルビュジェのマキシマムカーのコンセプトそのものだったと言えます。だからエンジン配置などの違いはあるものの、平面を多用した形態など、両者には多くの共通点があります。2CVを設計したルフェーブルという技術者は、コルビュジェと縁が深いヴォアザン出身だったので、設計思想の面でも影響を受けたことは充分考えられると思います。
シトロエン2CV

コルビュジェが宣言した言葉「建築は住むための機械である」は有名です。富や権力を誇示する建築や、精神性を表現するための建築、などに対するアンチテーゼとして、建築は人間が快適で合理的に住むためのものであるべきだという提言でした。これとまったく同じ考え方で自動車もデザインしたのです。金持ちの優雅な乗り物であった自動車を、誰もが乗れる実用に徹した「走るための機械」にしようとしたのです。その精神を受け継いだシトロエンCVは、1948年から1990年まで40年にもわたって700万台も生産されましたが、数だけでなく、「人類が生んだ最も哲学的な車」という言葉で讃えられているのはそのためでしょう。

2015年2月21日土曜日

映画の中の自動車 (2)          「恋人たち」のシトロエン2CV


「恋人たち」
   1959年、フランス、監督:ルイ • マル、主演:ジャンヌ • モロー

白黒の古い映画です。会社の社長である夫に不満を抱く人妻が、ふと知り合った青年と情熱の一夜をすごし、翌朝、夫も裕福な生活も捨てて青年とともに去る、という話ですが、最初に二人が出会うのがこのシーンで、車が重要な役割をしています。

主人公の車がエンストしてしまい、たまたま通りかかった青年が助けてくれるのですが、彼女の車は中級車の「プジョー203」。これは妻専用の車で、社長の夫はもっと高級車(映画には出てこないが)に乗っているはずです。ちなみにプジョーはモデルチェンジするごとに、車名の三桁目の数字が増えていき、最新モデルでは、「208」まできています。いっぽう、歴史研究者である青年の車は、あの「シトロエン2CV」。簡素な車だが、大衆車として長く愛され続けました。登場人物の職業や地位などを示唆するために車を使うのは映画の常套手段ですが、これもそのひとつで、2台の車のツーショットで二人のステイタスの違いを対比的に表現しています。

最後のシーンで、ジャンヌ • モロー演じる人妻がこのシトロエン2CVに乗って、青年と家を出ていくのですが、駆け落ちはしたものの彼女の心は不安に揺れ動いています。さすがのルイ • マル監督、主人公の心理描写をする手段として車を実にうまく使っています。キャンバストップをオープンにして、光と風を受けて走るときの表情は、自由な生活への夢にあふれているのですが、一方でガタガタと走る狭い車のバックミラーで自分の顔を見るときの曇った表情は、金や地位を無くした、これからの現実生活への不安を表しているようです。

2CV は単なる廉価版自動車ではなく、低コストでありながら、「Less is more」という合理性をつきつめた革新的な設計でした。コルビュジェが描いた車のスケッチを基にしたという説があるほど(たしかに似ている)機能主義的デザインでした。CVはいろいろな映画でよく登場するのですが、登場人物が豊かではないが知的、といった役柄の車として使われることが多いのは、そのためでしょう。この映画はその典型だと思います。

2015年2月6日金曜日

ベクシンスキー 建築家の絵画


ポーランドの画家ベクシンスキー(19292005)は、ナチスドイツ占領下での戦争や虐殺を経験し、戦後には、ソ連による抑圧を受けました。そのため「終焉の画家」などと呼ばれ、その絵は全体主義やホロコーストなどに対する抗議のメッセージだと解釈されることが多いのですが、彼自身は、絵から何かの物語を読み取られることを望んでいなかったそうです。伝えたいのは、絵そのものが喚起する感情だけだと言っています。すべての作品に題名をつけなかったのもそのためです。

(左)丘の上に崩れかけた城のような建物が幻影のように建っています。謎めいて、不気味で、崇高でもあります。(右)何かゾクッとするような、人の住んでいない滅びた街が、巨大な岩のかたまりとして描かれています。建物は幾何学性がなく、表面を覆っている洞窟の穴のような窓が、ざらついた岩の材質感を出しています。
(左)焼けこげた鉄骨むきだしの巨大な建造物が空中に浮かんでいますが、全体は人間の顔の形です。彼は人間を描くときも、生命体としてではなく、人工物として描きました。片方の眼から炎と煙が吹き出しています。(右)塔が炎上し。最上階の石が崩れ落ちて骨格がむき出しになり、空中には燃えかけの紙が舞っています。

祖父も父も建築監督や測量技師など建築関係の仕事だった影響で、自身も工科大学の建築学科で学び、卒業後は建築現場監督の仕事をしています。そのためでしょう、絵に「建築」を強く感じます。なぜそう感じるのか、具体的にどのようなところにそれが現れているのか、を考えてみました。

(1)当然ながら、建築物の絵が多いのですが、それは実際にある建物ではなく、現実にはありえない、頭の中の幻想の建築を描いています。だから、まぼろしの建物なのですが、まったくの架空とは思えない「現実感」があります。風景の点景としてではなく、建築そのものを、建築を知っている人が描いているからでしょう。

(2)よくある風景画のように、表面の屋根 • 壁 • 窓を描いて • • • というのと違って、建物にがっちりとした「構造感」があります。廃墟の建物の絵が多いので表面は崩れていますが、骨格の構造は、永久に建ち続けていそうな強固さを感じます。このような建築に対する感覚はやはり建築家としての経験から来ているのだろうと思います。

(3)「空間感」を強く感じる絵です。建築物が単独でなく、空間との関係でとらえられています。奥行きや広がりのある空間の中にぽつんと置かれた建築によって、空虚感であったり、不気味感であったりの感情を呼び起こします。それはパースペクティブの使い方の巧みさによります。建築出身の彼は当然パースは得意だったはずです。

(4)石や鉄などの材質のごつごつした材質感」を表すテクスチャーで画面がうめつくされています。テクスチャーによって、建物が実際の材料で現実に建てられているような強い実在感をもたらしています。実在感はさらに、独特の「凄み」となって、せまってきます。これも建築材料を実際に扱っていたことが役立っているのでしょう。